【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2014年1月7日火曜日

【読者の物語】 サッチャー論 2014年1月7日

【PUBLICITY 1954】2014年1月7日(火)
読者の物語 サッチャー論 ロンドンのみどりさんから

▼最近イギリスの大学生が下院議員におこなったアンケートで、「最良の首相」にサッチャーが選ばれたらしい。以下、讀賣の記事を要約。


【ロンドン=佐藤昌宏】ロンドン大学の学生らが第2次世界大戦後の12人の英首相(現職のキャメロン氏を除く)について、英下院議員にアンケート調査を行ったところ、昨年死去したマーガレット・サッチャー氏(保守党)が「最良の首相」に選ばれた。大胆な民営化など決断力が評価された。
2位は、国民保険サービスなどを導入して福祉国家を確立した、 戦後最初の首相クレメント・アトリー(労働党) 3位には1997年から10年にわたる長期政権を築いたトニー・ブレア氏(同)4位はウィンストン・チャーチル(保守党)
調査は昨年11、12月に行われ、下院議員158人から回答を得た。回答者の党派別内訳は、与党第1党・保守党約44%、同第2党・自由民主党約9%、最大野党・労働党約42%、その他約5%だった。(2014年1月5日21時22分 読売新聞)

▼1位のサッチャーと2位のアトリーは僅差だったらしい。

▼昨年、ロンドンのみどりさんからいただいたサッチャー関連のメールを2通、抜粋転載しておく。 次号以降、みどりさんのブログ「ロンドンSW19から」の気に入った部分を抜粋してみよう。

▼こういう良質な時事評論が、インターネットの時代になって増えているのか減っているのかわからない。おそらく増えているのだろうが、その何倍もの勢いで、そうでないものも増えているから、探し出すのが億劫だ。



サッチャー死亡の際にちょこっと書きました。労働条件の過酷化はサッチャー&レーガンの「小さな政府」から始まっていることがわかるかと思います(これを、よせばいいのに周回遅れで実施したのが小泉の雇用改革)。サッチャリズムの掛け声の一つは「ヴィクトリア時代に還れ」 だったんですが、労働条件までヴィクトリア時代にかえっちゃったってことかもしれません。
サッチャーがフェミニストだって!?
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/355880754.html
サッチャリズムが生んだイングランド暴動
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/355879414.html
サッチャーのfactチェック--金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/356351932.html
ではまた。 みどり

▼もう一通。


ヘレン・ミレンが「クイーン」になる前にIRA殉教者(ハン ガーストライカー)の母(息子の思いを裏切ってかれの命を救 う母)を演じていたのは特筆に値すると思います。西欧の女優は、乳房切除のアンジーもそうですが、自分の声の大きさを政治へのコミットメントに利用することをためらいませんね。 
▼今年(=2013年、竹山註)は、イギリスの女性参政権運 動のなかでハイライトとも言えるエミリー・ディヴィッドソンの「殉教」100周年で、サフラジェットに関するドキュメンタリーの放映や書籍の刊行が相次いでいます。サッチャーの活躍もこれがあればこそと思うと複雑ですけど。
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/154102817.html
日本もひどいことになっているようですが、保守党ぼっちゃん政権下のイギリスも「わや」です。


▼上のメールをいただいた頃から、ニッポンはまた随分ひどくなっているから、ニッポンでもどこかの大学生が同じ試みをしたら面白い結果が出るだろうね。


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2014年1月1日水曜日

相対化する力/2014年1月1日

▼2014年の元日の新聞で、興味深かったのは、琉球新報の「辺野古移設に関する米専門家の声」だ。2010年から2013年にかけて、「辺野古移設、マズイっしょ」とか「必要ねえんじゃね?」的な12人+2文書のコメント、考察、批判を一覧表にした記事だ。

カート・キャンベル、ランド研究所、上院軍事委員長、ジョセフ・ナイ、ジェラルド・カーティス、アーミテージなどなど。豪華な面々である。

こういう事実の列挙を目にすると、これまで本土のマスメディアは、いったい何を報道してきたのだろう、と首を傾げてしまう。

▼この日の琉球新報1面トップは、1968年から69年まで、嘉手納基地の弾薬庫内で枯れ葉剤が定期的に散布されていた、という元アメリカ兵証言である(島袋良太記者)。その弾薬庫の近くには軍用犬の訓練場があり、1968-73年の軍用犬の腫瘍発生率は、ベトナムの倍だったそうだ。新年号にふさわしい内容だ。

記事には地図がついていて、その弾薬庫地区や元軍用犬訓練場のすぐそばを、比謝川(ひじゃがわ)が流れ、西が読谷村、南が嘉手納町。陸上競技場や「道の駅かでな」も、すぐ近くにある。

▼ほかにも、東京新聞1面トップの「東京電力が免税国オランダを活用して税金を逃れ、海外に210億円蓄財している」という報道や(桐山純平記者。この記事は、東日本大震災の被災者が仮設住宅で一人暮らししている写真と組み合わせたレイアウト)、

朝日新聞の「第一次世界大戦」考(近藤慶太郎記者/ドイツとフランスの共同教科書=剣持久木コメント、山田慶兒『海路としての尖閣諸島』紹介)に、ニッポン社会を覆いつつある空気を【相対化する力】を感じる。

安倍総理の靖国神社参拝を重ねて批判した、アメリカ国務省の「『失望』の意味は明確」というコメントを紹介した記事(東京新聞)も然り。

▼こういった報道は、いわば「1日だけのベストセラー」であり、すぐに忘れられてしまう。そもそも、県紙の良質な報道は広く流通しない。そして、良質な報道を「ほめる文化」が、ニッポン社会には乏しいと感じるわけさ。だから、いい報道は、ドシドシほめようと思う。

▼物事を「時をおいてながめる」には、ふだん使わない努力を要する。それは「反射」とは異質の力だ。コーヒーやジンジャーエールを飲みながら、うんうんと唸る力だ。

論理だけでもない、感情だけでもない、生活の底に根ざした言論こそが、客観報道の呪縛を破る力になるのではないだろうか。

2013年9月27日金曜日

【オフノート】東郷和彦 総目次

【PUBLICITY 1951】2013年9月27日(金)


▼東郷和彦さんのロングインタビューを終えて、思ったことを
幾つかメモしておきたい。

まず、本誌で扱った最長のインタビューになった。なにしろ通
算で45回も発信した。註が多いけど。

長い分量をかけて発信し、背景も含めて共有すべきだと感じさ
せる東郷さんの話だった。おそらく「右」を自称する/他称さ
れる人にも、「左」を自称する/他称される人にも、益する内
容が含まれていると思う。

現在の日本の知的情況の特徴は、東郷さんの小論やインタビュ
ーが、岩波の「世界」と「週刊金曜日」と「文藝春秋」と「月
刊日本」に、同時期に掲載されることに象徴されている。

尤(もっと)も、もっとわかりやすい例は、もはや数えきれな
い数の雑誌や新聞に連載を繰り広げる「佐藤優」の存在である。

彼らのように旧来の「左右」の枠を超えて論陣を張っている/
張らざるを得ない人々の思想(=運命)と論点(=戦略)と語
り口(=戦術)を吟味すれば、「世界の中の日本」が可視化さ
れ、「国家」が相対化され、各々の守るべきものが見えてくる
と思う。


【取材のきっかけ】

▼東郷さんにインタビューするきっかけは「フォーラム神保町」
(現在は終了)だった。同フォーラムが主催するいくつもの勉
強会のうち、東郷さんの連続勉強会に参加したのだが、まず何
枚かのプリントが配られた。それはのちに講談社から出版され
ることになる『歴史と外交』のゲラだった。

勉強会は、プリントの内容について東郷さんがまず話し、その
のち参加者から質疑応答を受け、自由に議論した。議論には「
チャタムハウスルール」が適用された。(議論で得た情報は自
由に使っていいが、情報源は一切明かしてはならない、という
ルール)

そしてこの勉強会の肝(きも)は、議論によって東郷さんのプ
リントに検討すべき箇所が見つかれば、すべて訂正して新著に
反映する、という東郷さんの基本姿勢だった。

▼これから出版する本の全容を、「意欲はあるが見ず知らずの
複数の人間」に配り、自由に議論を促し、自らの間違いが見つ
かれば積極的に著作に反映する……この段取りを、こうやって
書いてみれば、とても合理的で価値的だが、実際におこなうの
はなかなか難しいことだと思う。

しかも当人は、かつて外務省の文字通り中枢におり、北方領土
交渉で正真正銘の「国益」のために死力を尽くし、複数の局長
職やオランダ大使を歴任した人である。ぼくはなによりもまず、
あれほど理不尽な仕打ちを受けて外務省を追われ、数年間の「
漂流」を経てもなお保たれている、東郷さんの「オープンな知
的態度」に感銘を受けたのだった。

そして実際に、東郷さんはこの連続勉強会を通して、章立ても
含め、幾つかの表現、内容を変更し、『歴史と外交』を世に問
い、ロングセラーとなった。

こういう誠実な姿勢を有するトップエリートの思索の痕跡、思
想の背景、また、今まさに生起している時事問題へのコメント
を、堅苦しくない形式で社会に共有できる機会は多くはない、
と感じたのも、ロングインタビューをお願いした理由の一つだ。


【取材で得た僥倖】

▼インタビューの準備をし、まとめる経緯では、東郷さんの学
生時代の恩師である哲学者の井上忠さんと東郷さんの再会をお
手伝いすることができた(オフノート第15回から第18回に
詳しい)。

思いがけない「師弟の再会」は、同席したぼくにとってもアリ
ストテレスをめぐる得難い学びの場となった。

(まったくの蛇足だが、井上忠さんは現役教員時代、通称「イ
ノチュウ」と呼ばれていたのだが、これはもしかして井上哲次
郎が「イノテツ」と呼ばれていたことと関係あるのだろうか?)

▼ほかにも権藤成卿が唱えた「社稷」の思想、「東京裁判」の
速記録など、それまで縁の薄かった知的遺産をじっくり読むい
い機会になった。これも有難かった。

とくに「東郷氏(=東郷茂徳)はナチス時代のカサンドラであ
つたのであります」というブレークニー弁護人の一言は、あま
り知られておらず、発信できてよかった。この一言を『極東国
際軍事裁判速記録』から見つけた時の感懐は忘れられない。

▼おそらく、これほど長いインタビューを、今後、本誌で連載
することはないだろう。もう徹夜でまとめる体力もないし、割
ける時間もない。出来る事を、出来る時に、思いつくかぎりや
りきっておくものだ。下記の総目次を並べながら、そう思った。

▼全体のタイトルである「1945から/1945へ」は、「
1945年から」人生が始まった東郷さんの外交戦の跡を辿(
たど)る作業が、やがて祖父である東郷茂徳さんの「1945
年へ」至る道を確かめる作業になったので、こう名付けた。

「1945から」始まった歴史は、「1945へ」と反復する
のかもしれないし、しないかもしれない。

ぼくは、東郷さんの「歴史とは『人間の努力』である」という
定義が好きだ。誰にでもわかる定義で、嘘がないから。

▼第3章のタイトルは堀田善衛の本から、第4章のタイトルは
中島みゆきの歌から拝借した。歌詞を本編で引用し忘れたので、
ここで引用しておく。今から思えば、この歌詞と通ずるなにか
を「フォーラム神保町」の連続勉強会で感じたから、この連載
を書こうという気になったのかも知れない。


――――――――――――――――――――――――――――
世界の場所を教える地図は
誰でも 自分が真ん中だと言い張る

私のくにをどこかに乗せて 地球は
くすくす笑いながら 回ってゆく

くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
むずかしくは知らない ただEAST ASIA

「EAST ASIA」
作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
――――――――――――――――――――――――――――


【オフノート・東郷和彦「1945から/1945へ」総目次】

■第1章 “透明なビニール”の中で
 01から08まで(主に外務省時代の物語)

■第2章 職業としての外交
 09/職業としての外交
 10/日本の地盤沈下、ゆでガエル症候群
 11/外交の真髄
 12/情報戦における敗北の事例
 13/右か、左か。「嫌米」のバックラッシュ
 14/「独善」を避けよ!
 15/「弓」を引く力、その源泉
 16/恩師との対話、12世紀ルネサンス考
 17/アリストテレス革命
 18/第2章終わり

■第3章 美(うるわ)しきもの見し人は
 19/美しきもの見し人は
 20/「最後の一戦に敗けた者が敗者」
 21/わだつみの底より
 22/年ふることのなきぞかなしき(上)
 23/年ふることのなきぞかなしき(下)
 24-A/「佐藤電報」を読む
 24-B/「ために社稷は救わるべくもあらず」
 24-C/「社稷」考~衣食住のネットワーク
 25/ナチス時代のカッサンドラ
 26/家庭の雰囲気について
 27-A/「自然」と「伝統」、そして「天皇」
 27-B/感性を失っていく歴史

■第4章 黒い瞳の国~East Asia
 28/戦争と道義心の不足
 29/「統帥権」雑感
 30/個人主義と全体主義の間で
 31/歴史とは人間の努力
 32/三つの領土問題・竹島
 33/三つの領土問題・尖閣 その1
 34/三つの領土問題・尖閣 その2
 35/台形史観のおさらい1
 36/台形史観のおさらい2
 37/ある外交官の一生
 38/三つの領土問題・北方領土1
 39/三つの領土問題・北方領土2
 40/新しい領土問題・沖縄と福島
 41/大学教育の経験
 42/歴史認識とアメリカ


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2013年9月24日火曜日

【オフノート】東郷和彦 42止/歴史認識とアメリカ

【PUBLICITY 1950】2013年9月24日(火)


【オフノート】東郷和彦42
〈歴史認識とアメリカ〉
――――――――――――――――――――――――――――
festina lente.

ゆっくり急げ。
――――――――――――――――――――――――――――


【臥薪嘗胆の時代】

【註】
▼『戦後日本が失ったもの』のなかに、目を疑うようなエピソ
ードが登場する。


――――――――――――――――――――――――――――
日本に帰ってから、二〇〇八年、とあるオピニオン・リーダー
たちの出席した勉強会でのことである。話が戦後の歴史教育の
不在に及んだ時、NGOの活動家の方がこんな話を披露してく
れた。

時はまだ小泉旋風で、衆議院で自民党が三分の二の多数を擁す
る時代である。

「この前、若手のリーダーたちに歴史の現場を勉強してもらお
うと思って、硫黄島に小泉チルドレンの先生方を含めて見学ツ
アーをアレンジしたんです。見学に入る前に現地で若干の勉強
会を開いて、講師の先生が話を始めました。

どうも、聞いている方の反応がぴんときていないみたいなんで
すね。そうしたら、小泉チルドレンの方の一人が、質問された
んです。

『日本とアメリカは戦争したことあったんですか』」

一同騒然となったのは、言うまでもない。

191-192頁
――――――――――――――――――――――――――――


▼この事実を冒頭に置いて、最後のテーマ「歴史認識問題とア
メリカ」に入りたい。


東郷 新しい本(『歴史認識を問い直す』)では、日本発の新
しい哲学、日本がリードしうる新しい思想をめぐって、第7章
で書いています。

――これまでも一つの参照軸として、京都学派について言及さ
れていますね。


――――――――――――――――――――――――――――
世界の中における現下の日本について本当に考えるためには、
根と幹と枝を総合して考えねばならないと、最近私は考えるよ
うになった。根は、哲学と宗教と文明論である。幹は、国家目
標と公共である。枝は、そういう根と幹の上に展開されるべき
外交と対外政策である。

日本は近代化の過程の中で、太平洋戦争に入ろうとする時代、
一度だけ、哲学と国家論と外交を総合した思想をもった。いわ
ゆる京都学派と呼ばれる人たちの考えである。敗戦によってし
ばし、京都学派も、またそういう日本自身による普遍思想追求
の試みも姿を隠した。

日本は今、そういう総合的な思想を回復しなければならない。

「哲学・国家論・外交の総合を再び」
『環』51号「特集 内なるアメリカ」、藤原書店
――――――――――――――――――――――――――――


東郷 新しい、しかし今度は世界に通用する思想です。それは
人権に関するユニバーサル、グローバルな基本を取り入れたも
のでもある。

今の中国が抱えている巨大な問題は少数民族問題ですね。レイ
シャル・アロガンス(=人種的な傲慢)が問われている。日本
にもまた、かつて日本帝国の植民地主義で失敗した部分がある。
失敗の原因は、同じアジアの人々に対するレイシャル・アロガ
ンスでした。

日本の反省が真摯であればあるほど、中国に対してものを言わ
なければならないはずなんです。しかし、言わない。その原因
のひとつは、韓国に対しておこなった植民地主義に対する無反
省でしょう。だから、在特会の暴力的な言動についても、社会
全体としてはっきり発言できないような恐ろしい状況が生まれ
ていると思います。

私自身の言動については、著作を読んでいただければわかって
いただけると思いますが、韓国の方々に対してもアプローチで
きるし、中国の方々に対しても恥ずべきところなくアプローチ
できる立場と自認しています。

歴史認識について誠実に学べば、政治的責任に加え、必然的に、
道義的責任について考えさせられます。この道義的責任の視点
に基づいて、これまで日本から発せられた発言は少なすぎると
言わざるを得ない。

他国に対して「あれは、やりすぎだった」と言わない。言って
こそ、次の一歩を堂々と踏み出せる。言ってこそ、たとえばチ
ベットやウイグルに対して、「日本人だけが言えること」がで
てくる。

――道義的責任の有無が、その国の外交姿勢を深いところで規
定してくるんですね。

東郷 だからアメリカのリアリストたちから今、「日本のガラ
パゴス化した反中主義者たちが騒いでいるが、戦争について反
省もしていない日本が、なぜ中国のチベット問題についてもの
を言えるのか」と批判されているわけです。

歴史学者の家永三郎さんが、かつて「アウシュビッツ」と「ヒ
ロシマ」と「731」をジェノサイドとして論じておられまし
た。もっとも、規模や目的を考えると「731」は「民族の抹
殺」を目的にしたものではありませんから、同列に論じられな
いという批判もあるでしょう。しかし家永三郎さんは、左翼の
方ですが、信念をもった人だったからこそ、この三つを同列に
置いて論じることができた。私は彼の思想から学ぶべきところ
があると思います。

広島、長崎への原爆投下の問題は、現在のアメリカとの間では
解決しません。しかし、日本にとって最終的に解決すべき歴史
問題は、まさしくアメリカとの関係のなかにある。「東京裁判」
と「原爆投下」。この二つが日本の歴史認識問題の本丸である
と私は考えています。

【註】
▼『歴史と外交』には、歴史認識問題を解決するために必要な
「原則」について述べた次の一文がある。


――――――――――――――――――――――――――――
先の大戦にかかわる歴史認識の問題は、日本がいずれかの時点
で克服すべき課題である。しかし、そのためには、戦略と情報
が必要である。戦略とは、いちばん重要なのはなにかを識別、
選択し、他の重要なものとのあいだに優先順位をつけて、一つ
ひとつ時間差をつけて解決していくことである。また、情報と
は、相手の側がなにを考えているかを知悉することである。

253頁
――――――――――――――――――――――――――――


東郷 いまの日本は長い「臥薪嘗胆」の時代であるとも言えま
す。歴史認識におけるアメリカとの最終和解とは何なのか。私
はこの問題を忘れたことはありません。その解決のためには、
最低限の条件として、日本の展開する議論に、アジアの諸国が
共感をもっていただかなければならない。アジア諸国が「その
問題は、日本の言うとおりだ」となった時、アメリカの態度も
変わるでしょう。歴史認識問題は100年単位の戦いなのです。

これは『歴史と外交』でもある程度論じたのですが、発刊当初、
「アメリカに対する態度と中国、韓国に対する態度が違う」「
ダブルスタンダードじゃないか」という批判をいただきました。

しかし、日本がアジアで総スカンになっている現在のような状
況下で、アメリカに対してものを言ってもまったく迫力はない。
このポイントがわからなければ、アメリカとの間で歴史認識の
和解にたどり着けるはずがない、と私は考えています。

――ぼくは東郷さんの言論で面白いと思うのは、かたや「月刊
日本」、かたや岩波の「世界」や「週刊金曜日」に、東郷さん
の同じ趣旨の主張が載っている点です。これは東郷さんに限っ
た話ではなく、佐藤優さんなどその最たる例ですが、左右を弁
別する時代など、もはや昔の話です。東郷さんをはじめとする
何人かの言論はその証明になっていると思います。

東郷 書ける場所があるのはありがたいことです。京都の大学
で教え、静岡で県政のお手伝いをするなかで、「平成の三悪」
とでも言うべき「前例踏襲」「官僚主義」「既得権益」の強力
な壁にぶち当たることがあります。

日本が新しいビジョンをもって動き出すべき時、その創造的な
精神がこの三悪によって否定される。この悪弊を破らないとい
けないが、ものすごい勢いで押さえ込まれます。そういう事態
が至るところで起きている。

これからも、一歩ずつ進んでいくつもりです。

――長時間、ありがとうございました。


【編集後記】

▼2009年段階で、ぼくは「編集後記」として以下の文章を
書いていた。後半、箇条書きになっている部分があるが、文意
は通ると思うので、そのまま引用しておく。


――――――――――――――――――――――――――――
ぼくは東郷さんの話を聞きながら、ある時点で、彼の話のキー
ワードは「メモリーの息づいたロジック」だと考えた。そして
このキーワードを意識の片隅に置きながら、幾つかの質問をし
ていった。

しかし、ロジックが効用を発揮するためには、何らかの「枠組
み」が必要である。それを、国家と呼ぶ人もいる。社会と呼ぶ
人もいる。何と呼ぼうともメモリーは、メモリーに先立つ「世
の中」があって、初めて成り立つ。

しかし、たとえば「国家」という濾過装置を通すことによって
「世の中」が寸断された場合、メモリーもまた寸断され、なく
なる。そのとき「国益」も曖昧なものになり、「公」も曖昧な
ものになる。

この世の中そのものが――つまり、「メモリー」を紡ぎ出す土
台が、壊れてきているのであれば、その土台の上に「メモリー
の息づいたロジック」をつくることはできない。

▼必要なことは、「国益」の観点からとらえれば、

くにづくり=国境線を引き直す

もっといえば、【メモリーは変容する】。

この社会は、「新しいメモリー」を創り出す時を
迎えているのかも知れない。

国家が極大化し、社会が液状化している中で、
誰もが新しい「風景」を目の当たりにしている。

ぼくたちは今、わが山河は、たとえ空襲がなくとも焦土になる
のだ、という新たな現実――もしくは1945年へ至る歴史の
反復――に、直面している。
――――――――――――――――――――――――――――


▼この文章を書いた時点で、まさか2011年の3月11日に
東日本大震災が起こるなんて想像もしていなかったし、福島第
一原発がメルトダウンするなんて想像もしていなかった。文字
通り、空襲がなくても、ふるさとは焦土になった。ぼくは新し
い現実に直面した。

▼また、以下の文章を読んでいただきたい。


――――――――――――――――――――――――――――
安倍総理の歴史観には、小泉総理よりも明確な「日本の名誉を
守る」という視点があった。しかしながら、それが一方的で単
純な政策の形成としてあらわれれば、中国、韓国、ひいては米
国とのあいだで、不毛・無用・消耗でしかない歴史戦争を引き
起こす危険性があった。その結果は、おおむね予想がついた。
一九四五年に軍事的にすべてを失った経験の反復である。歴史
問題をめぐる新たな対中対米同時戦争によって、こんどはすべ
てを文化的に失う危険性があった。

だが、安倍内閣はその実際の政策において、そういう一方的な
自己正当化とはちがった政策をとりはじめた。就任早々の村山
談話の確認、「靖国神社に行くか行かないかを明言しない」と
いう政策、それらは、日本が戦後積み重ねてきた、反省と謝罪
の歴史をも肯定しつつ、過度の自己否定によって発生していた
漂流から脱却し、日本全体として向かっている中道への道が垣
間見えるように観ぜられたのである。

東郷和彦『歴史と外交』16頁
――――――――――――――――――――――――――――


▼この文章の載った東郷さんの『歴史と外交』が発刊されたの
は2008年12月だった。本連載の途中でもこの箇所を一度
引用している。

そして、2013年段階で、4年前のこの文章と似たような政
治の風景を目にしている事実に、ぼくは不思議な感覚を覚えて
いる。とくに「すべてを文化的に失う危険性があった」という
一言は、そのまま今の状況にあてはまっているのではないだろ
うか。

▼長いインタビューの中で「一九九一年の第一次湾岸戦争で日
本が陥った国際的孤立のトラウマ」(『歴史と外交』12頁)
について質問した際、東郷さんは戦後日本の歴史を顧みながら

「民族には寿命があるのかも知れません」

と言った。その一言が強く印象に残っている。

▼最後に、東郷さんの次の文章を引用して終わりたい。『歴史
と外交』の一文である。


――――――――――――――――――――――――――――
東郷茂徳は、鹿児島から車で約一時間ほどの距離にある日置郡
東市来町美山(現・日置市)という村の出身だった。

美山は、慶長三(一五九八)年、朝鮮戦役の最後に、半島から
撤退する豊臣秀吉軍に拉致された朝鮮の陶工たちが、居を構え
た場所である。この村で、朝鮮の陶工たちは、薩摩藩の独特の
保護と隔離の政策の下で、当時の世界の最先端技術による陶器
を製産、世に知られる薩摩焼となった。

茂徳の父寿勝はこの村の陶工のひとりであり、明治維新のとき、
旧制の朴を捨て、東郷姓を名乗った。茂徳は、明治十五(一八
八二)年、この村に生まれ、この村からやがて、東京帝国大学
で学び、外交官となった。

東京で育った私がこの村をはじめて訪れたのは、一九六八年の
春、大学を卒業し、外務省への入省を控えた春休みだった。鹿
児島市からバスに揺られて着いた美山は、緑のけぶる簡素な村
だった。

村の入り口に、「美山の子らよ、東郷先輩に続け」と書いた木
の柱が立っていた。そこから、茂徳の生家を訪ね、そこに住ん
でいた親戚の人たちと、しばし懇談してから、鹿児島に帰った
。おだやかな山並みに囲まれた静かな田園の風景と、「自分も
国のために、よい仕事をしたい」と思った記憶は、いまもなお
鮮明である。(中略)

最後に美山を訪れたのは、二〇〇一年、オランダに赴任する前
だった。オランダゆかりの場所が多い長崎を訪問したあと、鹿
児島を訪れた。マスコミは、イルクーツク交渉の失敗と外務省
のロシア政策をめぐる混乱を激しく批判している最中だった。

窯元の人たちを集めて席を設けてくれた沈寿官氏に、「こと志
と違い、日ロの大きな正常化は実現できなかったが、国のため
に、最善と信ずる仕事をしたと確信している」とお話しした。

茂徳から美山に連なる記憶、それは、四世紀をへだてて、自分
のなかに流れている朝鮮の血筋というものを、考えさせるもの
だった。

その問題が、自分にとって、どういう意味をもっているのかは、
まだ、私にはわからない。

109-110頁
――――――――――――――――――――――――――――


▼新しい「メモリー」は、そして「メモリーの息づいたロジッ
ク」は、誰でも創り始めることができる。

1945年生まれの東郷さんは、新しい扉の前に立っている。


(おわり)


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2013年9月23日月曜日

【オフノート】東郷和彦 41/大学教育の体験

【PUBLICITY 1949】2013年9月23日(月)


【オフノート】東郷和彦41
〈大学教育の体験〉


――――――――――――――――――――――――――――
tantumu scimus,quod memoria.

我々は、我々が記憶せるもののみを知る。
キケロ
――――――――――――――――――――――――――――


【最初の授業の驚き】

――歴史観を比べる重要性について、以前、日本と韓国の歴史
教科書について書かれましたが、日本とロシアをパラレルに描
く試みも始まっているそうですね。

東郷 五百旗頭先生と下斗米伸夫先生が中心になって進めてお
られます。興味深い取り組みです。

――東郷さんが京都産業大学で授業をもつようになって、予想
外の出来事などはありましたか。

東郷 私は担当しているのは「東アジア外交史」という授業で
す。アメリカのプリンストン大学で、ローズマン教授と「東ア
ジアの戦略思考」という授業を担当しました。

京産大では、プリンストン時代よりも歴史問題に重点を起き、
帝国主義の時代、冷戦時代、ポスト冷戦という時代の流れのな
かで、東アジアの各国がどのようなアイデンティティーとスト
ラテジー(=戦略)を持つに至ったか、という内容です。

2009年に初めてその授業をしたのですが、1回目の授業を
終えた時点で、「近現代史から遡(さかのぼ)って教えたほう
がいいんじゃないか」と思いました。そうすると時間切れで近
現代史の内容を取りはぐれることは絶対にありませんから。

――それってNHKの「さかのぼり日本史」に似ていますね。

東郷 そうなんです。授業を始めた当初はNHKの「さかのぼ
り日本史」の存在を知らなかったのですが、先を越されていた
(笑い)。結局2012年に初めて京産大でそういう授業をし
ました。今年2013年の4月から第2回目です。この授業を
通して大変貴重な経験をしました。

NHKの番組は、日本史をさかのぼる内容ですが、私の場合は
「さかのぼり東アジア史」ですね。五つの国の歴史を追う。と
にかく自分でやってみようと思ったんです。

――なにか直接のきっかけがあって、「さかのぼろう」と思っ
たのですか。

東郷 去年の「東アジア外交史」の最初の授業で、学生たちに
あるプリントを配ったんです。

【註】
▼ここで東郷さんは、ノートに何本かタテヨコの線を引き、学
生に配ったプリントの中身を再現してくれた。それは、タテ軸
に四つの時代区分、ヨコ軸に五つの国名が書かれた、合計20
の空欄があるプリントである。

四つの時代区分は、「1850年以前」「1850年から19
45年まで」「1945年から1989年の冷戦終結まで」、
そして「1989年以降」。

そして五つの国は「中国」「韓国」「日本」「ロシア」「アメ
リカ」である。


東郷 合計20の空欄に、なんでもいいから国際関係で重要だ
と思う出来事、事実、知っていることを書くように言いました。
第一回の授業時間の90分のうち40分ほど使って、そのプリ
ントに名前を書いて出してもらった。

ほんとうに驚きました。いちばんブランク(空白)が多かった
のは、ここなんですよ(そう言って東郷さんは「1989年以
降」の欄を指さした)。

――冷戦以降、ですか。

東郷 そうなんです。彼ら自身の育ってきた時代、つまり「現
代」のブランクが圧倒的に多かった。

――学生は日本人ですね。

東郷 ええ、250人の学生のうち、ほとんどが日本人です。
留学生が10人くらいだったかな。

とにかくショックでした。この1回目の授業の結果を受けて、
私は2回目の授業から、予定していた授業の順番を全部ひっく
り返したんです。授業は全部で15コマでしたから、すでに1
回使っているわけで、まず「1989年以降、今日まで」で4
コマ、「1945年から1989年の冷戦期」で4コマ、「1
850年から1945年の帝国主義」で4コマ、最後に「18
50年以前」で2コマ、この順番で授業しました。

――面白いですねえ。

東郷 たいへん面白かった。パワーポイントを使い、さらに歴
史的動画をYoutubeを使って導入しました。今年はさらに修正
を加えます。学生と一緒に勉強したことで、大変思い出に残り
ます。

また、ゼミを通じても強く感じたこともあります。

――何でしょう。

東郷 それは、いまの学生は、高校を卒業するまでに「自分の
意見」を人の前で言う訓練がほとんどなされていない、という
ことです。「他の人と違った自分の意見を言えることほど大事
なことはない」ということを、これまでの人生で一度も聞いた
ことがない学生がずいぶんいる、ということです。

――うーん、そうですか。

東郷 これは日本の教育の致命的な部分だと思います。しかし、
これほどひどいのか、と感じました。「たとえ他人と違ってい
ても、自分の意見を言ったり書いたりすることが、あなたがた
にとってクルーシャル(=決定的に重要)なんですよ」「意見
を言おう」「他の人と違う意見を言うことは、決して恥ずかし
いことじゃなくて、それこそがあなたがたに期待されているこ
となんですよ」と語り続けました。

裏を返せば、「みんなと同じことを言うことがいいことだ」と
いう、よくいわれているきわめて日本的な特徴だと思うのです
が、私は小学校時代に日本と違う場所で教育を受けてしまって
いるから、どうしても理解できない。

他人と違ったことを言うことが怖いという心理、それ自体を壊
さなくちゃいけない、という考えを、ゼミでも共有できるよう
に努力しましたが、その結果、「就活」などを通しても「積極
的に発言できた」と喜ぶ声をいくつか聞きました。「生き方を
考え直した」という声も聞いてうれしかった。

いっぽう、目覚めた人に、その意識に対応するジョブ・オポチ
ュニティー(=働く機会)があるかというと、簡単にはないで
すね。これも難しい問題です。月並みな言い方かもしれません
が、苦しみながら、自分でしか実現できないものを目指してが
んばっていくしかない。その手助けをできる限りしてあげたい
と思います。


【文化の価値】

東郷 いまの日本が成熟した段階に入っているのは間違いない。
ただし、私は成長率がゼロになっていいとは思いません。しか
し成長率が低くなってきた時の、新しい、文明的な生き方は絶
対に必要です。

冷戦時代、昭和時代は、経済大国へと一気に昇ってきましたね。
いま私は静岡県政のお手伝いをしていますが、静岡が掲げてい
る「富国有徳」という言葉は、これからの日本の目標にもなる
と思います。まだまだシェアされていませんが。

日本は国家としての目標がないまま25年間漂流しているよう
に見えます。「このままではダメだ」と思っている人が、いろ
いろなことを提言しています。私も「開かれた江戸」という考
えを発信してきました。

そうした意見が最終的に帰着するのは、私は「美」であり「文
化」だと思います。「ミネルヴァの梟」ではないが、日本はそ
の段階に来ている。ほんとうに世界に打って出ることのできる
「パワーソース」はどこにあるかと考えれば、経済力ではない
し、軍事力でもない。

文明論的に考えても、やはり「尖閣後の外交再定義」が決定的
に重要です。日本はもう一回、軍事力で戦うのか。私は違うと
思う。軍事力で失敗し、学んだものがあるはずです。それを、
中国に刺激されたからといって中国と同じレベルに堕ちるのか。

歴史を少し省みれば「そうではない」と気づくと思います。日
本の新しい平和主義の定義は、まさにこれからやらなくてはい
けない。その時に国内で内ゲバばかりやっていては話にならな
い。極端な左の平和ボケ――なにもしない――という姿勢もダ
メだし、中国と同じレベルで戦おうという右の平和ボケもダメ
だし、日本の平和主義はそのどちらに偏ってもならない。

そして、その新しい平和主義を持ちえたからといって、国際社
会では「so what?」(だから何?)なんですよ。それはミニマ
ムなんです。

――必要だが十分ではない、ということですか。

東郷 そう。その先に目指すべき国家としての目標があるはず
なんです。それは文化であり美だと思う。武器でもないし経済
でもない。日本が生き残るための基盤固めとして、新しい平和
主義が必要なのですが、日本が世界に対して見せる「国の姿」
はなにか、なにをもって日本が世界に対して発信できるのか。

少子化、高齢化に対応する社会づくりが不可欠である。それは
そのとおりです。しかしそれもまた、それだけならば、私に言
わせれば「so what?」なんです。「やっぱり日本はすごい」と
言わしめるのは文化であり美です。それ以外にないと肌で感じ
ています。

でも、文化とか美なんていうことを話題にすると「そんな余裕
はない」という反応が返ってくることが多い。もう少しだけ余
裕をもてないものだろうか、どうすればいいだろうか、と考え
ています。


【註】
▼『戦後日本が失ったもの』(角川書店)のなかに東郷さんの、
この文化への強い志向の原点が描かれている。

このインタビューをしていたのは六本木の喫茶店だった。文化
の価値をめぐる話になった時、東郷さんは喫茶店の窓の外をち
らっと眺め、「あれが美しいと思いますか? きれいな女の人
が映っていても、ちっとも美しいとは思えないでしょう?」と
、まったく無秩序に立ち並んだ雑多のビルのなか、はるか頭上
にそびえる、ファッションブランドの巨大な看板を指さした。


(つづく)


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2013年9月22日日曜日

【オフノート】東郷和彦 40/新しい領土問題――沖縄と福島

【PUBLICITY 1948】2013年9月22日(日)


【オフノート】東郷和彦40
〈新しい領土問題――沖縄と福島〉


――――――――――――――――――――――――――――
absurdum est ut alios regat,qui seipsum regere nescit.

自己を支配することを知らぬ者が
他人を支配するは不合理なり。
――――――――――――――――――――――――――――


【本土から遠ざかる沖縄の心】

――ぼくは沖縄と福島も、「かたちを変えた領土問題」ではな
いかと思います。東郷さんは、「沖縄問題は戦後日本の民主主
義の象徴だ」とおっしゃっていますね。


――――――――――――――――――――――――――――
しかし、ここで顕在化した沖縄の矛盾は、自民党政権時代より
解決できずに放置されてきたものであり、この矛盾を見て見ぬ
ふりして蓋を閉じたのは自民党政権と、それを支えてきた本土
の人間である。われわれ本土人はその責任から逃れることはで
きない。

「月刊日本」2012年8月号、19頁
「本土から遠ざかる沖縄の心」
――――――――――――――――――――――――――――


東郷 その内容が、この問題についてぼくがいえる唯一のこと
です。いわば、徹底的な「ジコチュー」(=自己中心主義)に
陥っている。「自分のところに持ち込まれるのはいやだ」とい
う感情であり、ヒポクラシー(=偽善)です。

かつて米軍基地は日本全土に展開し、本土は沖縄と違わなかっ
た。その後、本土の米軍基地は一気に減っていったが、沖縄の
基地は減らなかった。その結果、差別が生まれた。そしてその
状態のまま沖縄返還がおこなわれ、現在まで続いている。若泉
敬が自決された理由もそれです。

せっかく引き取った沖縄だが、その後、本土と比べて差が縮ま
らない。これは何を意味しているのか。悩み抜き、若泉さんは
『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を書いた。若泉さんの沖縄に
対する思いは、私の父親が感じていたものと通ずるものがあり
ます。

現時点での答えは一つしかない。「本土も引き受ける」という
ことです。しかし「ほんとうに引き受けてもいい」という人が
本土にあまりにも少ない。

2010年5月、鳩山さんの最後の時期に、政策変更が行われ、
日米間で合意したロードマップに戻ると決定されましたが、そ
の直後、全国知事会が行われましたね。自分の県に基地を持っ
てきてもいいと言ったのは、大阪の橋下知事だけだった。また
政治家のなかで、自分の影響力のある地域である北海道に基地
を持ってきてもいいと言ったのは鈴木宗男さんです。本土はも
っと負担すべきだという抽象論ではなく、自分のところでやっ
てもいいと言ったのはこの二人だけです。これで沖縄の民衆の
怒りがおさまるわけがない。

――「この時に報道された全国知事会の冷たさは、未だに忘れ
ることができない。そこには、沖縄の痛みを一切分かち合おう
としない本土の姿があった。そうした対応を見れば沖縄の人々
がどのような思いを抱くか、彼らはその想像力すら働かせよう
としていないように思えた」と書いておられましたね。

東郷 このままだと、いま佐藤優氏が口を酸っぱくして言って
いる「沖縄の自治化」「日・沖縄連邦化」の流れが強まるのは
必然です。

――「竹島の日」については大きな問題にならずにすみました
が、こんどはサンフランシスコ講和条約が発効した「4月28
日」に政府主催の主権回復を記念する式典を行いますね。沖縄
が納得するはずがない。

先日は琉球新報の1面に、沖縄の小学校と中学校で「琉球史」
を教える、という記事が出ていました。那覇市では、職員採用
試験の面接でウチナーグチのあいさつを取り入れるようになり
ます。沖縄には今、本土とはまったく違う物語が生まれ始めて
います。

東郷 きわめて大事な話です。もしも私が沖縄人だったら、間
違いなくこの琉球史の教育を推し進める行動に参加していると
思います。これこそまさにアイデンティティーの形成ですから。

そもそも沖縄には本来、ヤマトンチュと全然違う歴史がある。
清をめぐる冊封制度でも、琉球とヤマトは違う立場でした。琉
球は清に対してと同時に、ヤマトの実力支配にも服し、ダブル
の統治を受けていた。明治維新の時には、琉球王国はすでにア
メリカと条約を結んでいた。歴史が全然違います。

――沖縄の独立論もまた、尖閣問題をはじめとする領土問題と
直結していると思います。


【原発のコストは計上できない】

――また、東郷さんは国土強靭化法案に批判的ですね。東郷さ
んの「国土」という言葉をめぐるセンスにはヨーロッパでの体
験が息づいていることに、このインタビューの前半で触れまし
た。

ぼくは原発についてもこの観点で考えたいのです。福島では、
原発事故によって「領土が失われた」わけです。それこそ予見
される将来にわたって日本人が住めなくなった。この誰も変更
できない事実に対して、愛国者を自認する人たちの反応は鈍す
ぎると感じます。

東郷 竹山さんは、尖閣、竹島、北方領土の三つに沖縄と福島
を加えて、「五つの領土問題」があると認識しているんですね。

――そうです。

東郷 原子力発電の問題に関しては、「原子力のコストが安い」
と主張する方がいますが、それは「事故がない」という前提の
話であり、事故があった時のコストは高すぎて計上できない。
私は原発推進に危険を感じています。

――『原発のコスト』で大仏次郎論壇賞を受賞した大島堅一さ
んの著作が素晴らしいですね。領土を失ってなお、計算できな
い高いコストは無視する。行き場のない核廃棄物も含めて、や
はり原発問題は深刻な領土問題だとぼくは思っています。


(つづく)


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2013年9月21日土曜日

【オフノート】東郷和彦 39/三つの領土問題――北方領土 その2

【PUBLICITY 1947】2013年9月21日(土)


【オフノート】東郷和彦39
〈三つの領土問題――北方領土 その2〉


――――――――――――――――――――――――――――
vires unitae agunt
協力は事をなす。

クレアンテス
――――――――――――――――――――――――――――


【東郷・パノフ共同提言の価値】

――今年、東郷さんが発表した言論のなかで、最も影響力が大
きいものは「東郷・パノフ共同提言」であることに、誰も異論
はないでしょう。驚きました。


【註】
論文のタイトルは「日ロ平和条約交渉問題の解決に向けて」。
以下は朝日新聞の記事。


――――――――――――――――――――――――――――
2013年7月18日19時8分
「国後・択捉は経済特区に」 日ロ外交官OBが棚上げ案

【モスクワ=駒木明義】北方領土交渉に直接携わった経験を持
つ日ロ両国の元外交官が、問題解決に向けた提言を共同論文で
発表した。18日付のロシアの有力紙「独立新聞」に掲載され
た。歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)2島の日本への引き
渡しの準備を進める一方で、国後(くなしり)、択捉(えとろ
ふ)2島については領有権問題を当面棚上げし、両国が共に経
済活動ができる特区にするとしている。

筆者は日本外務省の条約局長、欧州局長を歴任し、2001年
まで対ロ交渉に直接携わった東郷和彦京都産業大世界問題研究
所長と、ロシア外務次官を務めた後、1996年から03年ま
で駐日大使を務めたアレクサンドル・パノフ米国カナダ研究所
主任研究員。

論文は、4月の日ロ首脳会談で平和条約交渉再開の機運が生ま
れたことを歓迎。今後の交渉を進めるために、早急な成果は求
めないこと▽両首脳を結ぶ非公式の交渉チャンネルを設けて率
直な意見交換をすること、などの条件を整えるよう提言してい
る。

さらに領土問題解決に向けた具体案も示した。(中略)

(1)歯舞、色丹二島を日本に引き渡す時期と条件について交
渉する

(2)それと並行して、国後、択捉に特別な法的地位を与え、
両国が経済活動することができる特別地域とすることを目指す
――との内容。

国後、択捉を日ロどちらのものにするかについては将来の交渉
に委ねる。

特別地域という考え方には前例がある。98年11月の日ロ首
脳会談で、当時のエリツィン大統領が小渕恵三首相に対して、
当面の間、四島全体に特別な法体系を適用して、共同経済活動
に道を開くことを提案した。今回の提言はこの提案をベースに、
歯舞、色丹二島の日本への引き渡しを進める内容を付け加えた
ものと言える。
――――――――――――――――――――――――――――


――乾坤一擲、「ここしかない」というタイミングで、「これ
しかない」という表現形式で、野球にたとえれば渾身のストレ
ートを投げ込んだような、現在の状況下でなしうる最高の民間
外交だと感じました。

東郷 ありがとうございます。


【二人で出来るだけのことをやらねばならない】

――パノフさんの「最大の問題は、現在まったく交渉が行われ
ていないことだ。両国外務省はいずれも何かが起きるのを待っ
ているのか、具体的な準備をしている様子が見えない。何かを
始めなくてはいけない。そのための基礎を示し、交渉を前に進
めさせるための提案なのだ」という一文が、共同提言の意味を
要約しています。

また、「ハフィントン・ポスト」の寄稿で東郷さんは、安倍総
理の訪露以降、領土交渉を進めようとする「風」がパタっと止
んでしまった現状を憂い、パノフさんと「二人で出来るだけの
ことをやらねばならない」と話し合った、と書かれていますね。

共同提言の内容は、東郷さんが繰り返し訴えてこられた「引き
分け」論の具体化されたものだと思いますが、パノフさんとの
議論は難航したのですか?

東郷 「基本」はピタリと合い、「細かな文脈」で議論を重ね
ました。具体的な作業過程は「ハフィントン・ポスト」に寄稿
したとおりです。

【註】
「ロシア語のみをベースに作成された投稿案を、メール添付や
、スキャンして修正テキストにし、英語のメールとロシア語の
電話で話しあいながら、間違いが起きない最終案文に仕上げて
いく」(「ハフィントン・ポスト」2013年8月2日「二島
返還・二島共同立法による北方領土解決案――東郷・パノフ共
同提言の真意」)

東郷 二人が確かめた「基本」は、三つです。

一つは、「この案ならロシアにとっても、日本にとっても負け
にならない」と思える案を産み出すこと。

二つは、その案を、これまでの交渉の中で相互に投げられた様
々な案を活用し、組み合わせることによって見出そうとしたこ
と。

【註】
「結果として、98年の小渕訪ロでエリツィンから提案された「
四島に対して、日本側の立法権による一部統治を含む特別経済
特区を創設する」案と、2000年9月の訪日以来一貫してプーチ
ンが言っている56年宣言適用の二案を同時適用し、国後択捉に
対する共同立法と歯舞・色丹の引き渡しという、共同提案が生
まれた」(「ハフィントン・ポスト」)

この案なら「妥結の基礎」になると考えました。

そして三つめに、「この共同提案は、決して唯一無二のもので
はない」ということです。

――ついに議論の叩き台の全貌が見えた感があります。これま
でのどの「機会の窓」よりも、国民の目に情報がオープンにな
ったように思えます。

東郷 この件に関してパノフと初めて会って打合せした際、お
互いの原案を持ち寄りました。私は大学ノートに双方が「引き
分け」と思える七つのオプションを書き、パノフに見せました。

――同じ「引き分け」でも、日本が有利な引き分けから、ロシ
アが有利な引き分けまで、合計七つの選択肢、ということです
ね。

東郷 そうです。じつは、パノフがまとめてきた案は、ちょう
ど私が考えた七つのオプションのうち、「真ん中」の案と同じ
だったのです。驚きました。そのスタート地点から議論を詰め
ていったのです。

――お二人の共同提言は、まず7月18日にロシアの『独立新
聞』、翌日付で日本の朝日新聞に報道され、共同提言の全文の
日本語版が朝日のデジタル版に掲載されました。ロシアでの報
道を日本で追いかけるかたちをとったことにも、知恵が滲んで
いると感じました。朝日の駒木明義記者の文章からは、「この
共同提言は重要なのだ」という緊迫感が伝わってきました。

東郷 そうですね。私とパノフとの共同作業に加え、ロシアの
『独立新聞』への投稿と日本の朝日新聞の協力という枠組みが
あって、あの時点であのタイミングで発表できたということで
す。しかしまず『独立新聞』で発表された後は、共同通信、産
経新聞、北海道新聞などの取材も行われ、幅広い報道に連なっ
ていったように思います。ありがたいことです。

ロシアの独立新聞の〆切が迫り、しかしまだ文言が最終決定に
至らず、私が東京から京都へ向かう新幹線のデッキで1時間ほ
ど、モスクワにいるパノフから携帯電話がかかり、ロシア語で
議論して最終的な文言を決める場面もありました。久しぶりに
「外交」をめぐる「時間との勝負」を経験しました。

――9月5日、G20でサンクトペテルブルグを訪れた安倍総
理はプーチン大統領と会談し、11月1日、2日に東京で「2
プラス2」を開くことが合意されました。いっぽう、5月には
「面積二等分論」が報道されたりしました。領土交渉の実務の
当事者であった経験から、コメントをお願いします。

東郷 依然、厳しいことには変わりありません。まず、プーチ
ンのシグナル(2012年3月1日のG8を代表する記者会見
)を、日本の外務省は1年4ヶ月も放置してしまった。これに
は弁解の余地はない。ギリギリの戦いが続いています。

結局、領土問題をめぐる外交交渉の現場は、双方合わせて10
人前後で決まるといっていいと思います。

私が北方領土交渉に取り組んだ際も、プレスへの不可解なリー
クが相次ぎました。それではとても「本音」で話せません。本
音の議論は、当時の外務事務次官、政務担当外務審議官、総合
外交政策局長、条約局長、欧亜局長の五人のみで議論し、決し
て他に情報が漏れることのないように細心の注意を払った。内
部から佐藤優氏の強力な情報と献策があり、政治的には鈴木宗
男先生の一貫したサポートがあった。

対するロシア側にはロシア外務省きっての知日派のパノフが駐
日大使でおり、ロシュコフ次官とパノフの信頼関係は盤石だっ
た。外務大臣には、ロシア側はイーゴリ・イワノフ、日本側は
河野洋平大臣。そういう全体的構図の中から、イルクーツク声
明が生まれてきた。決して偶然の産物ではないし、こういう構
図の中にいたこと自体、非常に恵まれていました。「イルクー
ツク声明」への道を切り開くことができたのは、必然だったと
もいえるかもしれません。

現状は、当時とくらべると、非常に厳しいと言わざるをえませ
ん。現在任についている人について具体的にコメントすること
は、差し控えるべきだと思っています。

しかし、あえていうなら、この10年間、ロシア側で交渉を進
めようという意思をもち続け、かつ、それを適時に表明し続け
てきたのは、パノフとプーチンの二人だけのような気がします。
この二人のいる間に決着をつけるのが、日本にとって最善であ
ると思わざるをえません。

日本側では、これからの事務レベルのキーパーソンは、総理の
そばに谷内正太郎・内閣官房参与、兼原信克・内閣官房副長官
補、外務省に齋木昭隆事務次官、杉山晋輔政務担当外務審議官、
上月豊久欧州局長、石井正文国際法局長のチームになると思い
ます。とてもすぐれたチームだと思います。

繰り返しますが、これまでのすべての交渉を総括すれば、解決
は「引き分け」、そのもっともわかりやすい「交渉の出口」は
「2島+α」です。未だに「α=ゼロ」と決めつけて、「四島
一括」がでてくるまで待てという方もおられる。正義の旗を堅
持すること自体が最高の国益だというご意見は承ります。

しかしそこに固執すれば、私の見るところ、予見される将来、
交渉は動かない。その結果は、日本にだけ関係のない四島が、
かくも日本に近く登場するということになります。あと22年
たてば、正義の下の日本統治90年よりも、不正義の下のロシ
ア領の統治期間が長くなっていきます。そこにおけるロシア住
民はそこそこに満足した生活をしている。国際法でも、実効支
配の重さは増えてきています。そういう状況が進行し、島はか
えってくるでしょうか。

決着をつけ、事態を動かすところにいるのではないでしょうか。


(つづく)


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