【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2015年1月17日土曜日

『国家と秘密』を読む~実害編その2


マラーやデムーランの監督下では、咬みつきたがる獰猛な番犬だった新聞も、 
これはしたり! 嬉々として尾(しっぽ)を振りながら、 
彼の足もとにじゃれついてくるではないか。 
新聞だって鞭をくらうよりも、ビスケットを食うほうが好きなのだ。

ツワイク『ジョゼフ・フーシェ』岩波文庫、144頁、高橋禎二・秋山英夫訳



【PUBLICITY 1961】2015年1月17日(土)
■『国家と秘密』~実害編その2■
freespeech21@yahoo.co.jp


▼『国家と秘密』(集英社新書)に列挙された「公文書隠しの実害」の歴史を続ける前に、毎日新聞の良記事を紹介しよう。大阪社会部の日下部聡記者が1月8日付で書いた記事。キーワードは

〈「どうなる」ではなく「どうする」〉

▼前号でぼくは、『国家と秘密』から

〈そもそも犯されるというに足るほどの知る権利を、戦後日本の国民は、持っていたのでしょうか?〉(13頁)

という強烈なライトモティーフ=Leitmotivを引用した。ただしもちろん、知る権利はわずかかもしれないが「ゼロ」ではないし、そのゼロではないものを広げる努力に価値はある。

〈(戦後日本の情報公開や司法のチェックが)十分に機能しているかどうかは議論の余地がある。しかし、戦前になかった多くの民主的な制度を私たちが手にしているのは事実だ。

日下部記者はこの「事実」を地道に示してきた優れた新聞記者の一人だ。〈情報公開法に基づき、私は特定秘密保護法案の検討過程の記録を開示請求した。段ボール箱約20個分もの文書が届いた。黒塗りもあったが、分かったことも多かった。▽内閣法制局が当初、必要性に疑問を呈していた▽原案を作った内閣情報調査室は、法が国民の基本的人権を侵害する危険性を認識していた――などと記事にした。〉

▼また、ある警察庁幹部からは、匿名ながら次のコメントを聞き出している。

「今は公開できない情報も、後世の人々には記録として残していく必要があると思うのですが」という質問に対し、

「それはそう思いますよ」「外国から情報を受け取るために、法が必要なのは確かです。しかし、実務上はこれまでも特に困ったことはない。個人的には、罰するのは公務員側だけにするとか、もう少し絞った法律でもよかったと思う」

▼もう一つ、特定秘密保護法に反対し、成立後は同法の運用基準をつくる諮問会議委員になった清水勉弁護士のコメントも印象深い。

〈反対派からは「取り込まれた」と非難する声も上がった。しかし、清水氏は言う。「『成立したら負け』ではないのです。できてしまった以上、少しでもまともな法律にするにはどうするかを考え続けなければならない」

まったくそのとおりだ。〈運用基準には清水氏の意見も一定程度反映された。諮問会議は今後も年1回、法の運用状況に意見を述べる。〉

記事の末尾は〈特定秘密だけに目を奪われることなく、あらゆる非公開情報に民主的なコントロールの仕組みを埋め込んでいかなければならない。情報管理の基礎となる公文書管理法の充実も重要だ。主権者である私たちは、「どうなる」ではなく「どうする」を考えたい。〉と結ばれている。完全に同意である。

新聞記者は自らすすんで権力の鞭をくらう必要はない。と同時に、すすんでビスケットを食らう必要もない。しかし、あちらでもこちらでもビスケットをくわえ始めた時、くわえないだけで同調圧力にさらされるきらいが、ニッポン社会には強い。「知る権利」を押し広げるスピードは、まるでカタツムリのようだ。



▼さて、公文書隠しの実害編を続けよう。

公文書を焼いて、隠したおかげで、どえらいこともしでかすことができた。「東京裁判」である。とにかく文書=証拠が消えたわけで、〈日本側は尋問などに積極的に協力することで、判の方向づけにかなりの影響力を及ぼすことができたのです〉(36頁)

▼また、〈日本近現代政治史研究者の世界では、

公文書には重要資料はろくに残っていない。遺族の元をまわって私文書を収集する方が重要

という認識が「常識」ですらあった〉という。(37頁)

たとえば、わが日本では〈海軍の最高機密文書が一財団法人の手によって保管されていた〉(35頁)ことをご存知だろうか。ちなみにこの文書は海軍の最高統帥命令である「大海令」だ。

▼〈(敗戦までの)官僚たちは、「天皇の官吏」であり、国民に対する説明責任を負っていませんでした。〉(42頁)。

そして敗戦後もいわゆる「縦割り行政」の仕組みは残り、

法は変われど、行政法は変わらず

と相成った(50頁)。さらに後年、行政管理庁が進めた文書の廃棄によって

〈「戦前の方がまだ公文書は残っている。戦後の方が残り方は酷い

という話を色々なところで耳にします〉(55頁)などという事態が進んだ。国立公文書館は独立行政法人と化した。つまり国の機関ですらなくなった(80頁)。

▼『国家と秘密』には、公文書隠しにまつわる有名な事件も続々と紹介されている。

1995年。高速増殖炉「もんじゅ」がナトリウム漏れで燃えた時、〈動力炉・核燃料開発事業団が事故直後の映像を編集して公開し、事故を小さく見せようとしたことが発覚。〉(73頁)

1996年。〈薬害エイズ問題に関する重要な資料が「発見」され、菅直人厚相がそれを公開して謝罪する事件がありました。〉(同頁)

同じころ、「住専=住宅金融専門会社」の不良債権処理(なつかしいなあ)が大問題になっていた。〈大蔵省が過去に行った住専への検査結果を「守秘義務」を名目に隠そうとしたことも注目されました。〉(同頁)

2007年の「消えた年金問題」も、要するに〈公文書管理がずさんであったが故に〉起きた問題だった。(86頁)

C型ウイルス感染」もあった。文書管理のずさんさが、国民に実害を与える(87頁)典型例なので、少し長いが引用しておく。

〈二〇〇二年にフィブリノゲン製剤の投与によるC型肝炎ウイルス感染についての報告書を作成した際、患者名が記載されていた症例一覧表を入手していたにもかかわらず、本人へ罹患を告知しなかったことが二〇〇七年に発覚したのです。このため厚労省は、故意に事実を隠した疑いがもたれました。

この批判を受けて、厚労省は調査チームを立ち上げました。その調査の結果、放置された理由の一つとして、「倉庫内の文書の保管や管理は極めて不十分で、文書管理に組織としての問題があった」ことが挙げられました。放置された資料が保管されていた地下倉庫は、「どの書棚にどの書類がある」かが系統立てて整理されておらず、文書ファイルの背表紙に件名が記載されていない、ダンボールに入れられて文書が放置されているなど、まともな管理がなされていない状態にあったのです。この結果、重要な文書が見つけられずに放置されたのです。〉(同頁)

▼実害編、もうちょっと続く。


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