【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2011年12月31日土曜日

原発に夢中08~地名と感情

原発に夢中08~地名と感情

発行日:12/31
 
 
■■メールマガジン「PUBLICITY」No.1927 2011/12/31土■■


▼2011年3月11日の後、初めて行った本屋はジュンク堂
の池袋本店で、買った本は日本地図だった。それほど混んでい
ない夜の山手線で座り、ぼくは福島県の「広野・楢葉・富岡・
大熊・双葉・浪江町」の地図を、周りの邪魔にならないよう少
しずつ広げて見た。そこには神社をはじめ、じつに多種多様な
地名が載っていた。家に帰っても、地図から目を離せなかった。

▼原発に近い場所から挙げていくと、まず羽山神社と愛宕神社
、寒神社、山神神社がある。羽山神社の北、双葉町役場の東に
は正八幡神社、八幡神社、西には標葉城跡、阿弥陀堂、観音堂
。千寿では「双葉中心部」として区切られている。これらの地
域から北に出ると、渋川、鴻草(こうのくさ)、両竹(もろたけ)
、中浜、谷津田(やつだ)などの地名の中に、諏訪神社、鹿島神
社、白旗神社、仲禅寺などが見える。

北上して幾世橋(きよはし)、請戸(うけど)川を過ぎると、初発
神社、八幡神社、藤橋不動尊。国玉神社もある。棚塩の海沿い
に貴布弥神社、黄金山神社、その北には綿津見神社、視線を西
に流すと、御祖神社、星神社、月山神社、標葉神社、光明寺、
東照神社、七社神社、観音寺、愛宕神社、香取神社。


▼これらの神社周辺の地名を拾っていくと、営々と積み重ねら
れてきた人々の生活について想像が巡り、しばしば他事に関わ
ることができない。荒井、植畑、北棚、南新田、蛯沢、水谷、
女場、耳谷、桃内、藪内、根沢、神山、四ツ栗、仲ノ森、沢上
、堰守、賀老、不動滝、小萱、室原、堀知木、今神、上加倉、
富岡街道、末森、田尻、小野田、大堀、加倉、浦尻貝塚、金ケ
森溜池、百聞沢、出口の湯、鈴倭人美術館。

思わず南へ行き過ぎてしまった。そのままさらに西へ行くと、
葛尾(かつらお)川がある。夏湯、洞巌入口、石黒橋、大放、井
戸沢、手倉。行司ケ滝の東からは高瀬川が始まる。手倉山や十
万山に沿う高瀬川渓谷は、紅葉の名所【だった】。

三程、申瘤、鷲宮神社、焼築、北沢、高倉、乱塔前、清水寺や
さっき触れた仲禅寺、白旗神社を通り、樋渡(ひわたし)、丈六
公園、川添、牛渡あたりまでくると、もう浪江町役場である。

▼地図の西端、田村市には小滝沢林道、行司沢林道、戸屋、戸
草、地見城、場々、合子、荻田、大四郎といった地名にまぎれ
るように、大亀神社、大久保神社、春日神社、子安神社がある。

双葉中心部をみると、弓サク、南サク、後サクというカタカナ
まじりの地名もある。全体図でも、目サク、松ザク、節辺サク
、西羽竜サク、福田サク、西カノなどが双葉町に散見される。


▼冒頭に触れた、原発周辺の神社が立つあたりの地名も、眺め
ていてまったく飽きない。郡山、新山(しんざん)、細谷、夫沢
、小入野、陳場、舘腰、熊の沢、葉の木沢、富沢、長者原、東
大和久、向畑、東平、海渡神社、遍照寺、久麻川、熊川、熊、
北向、金谷平、小良浜(おらはま)、小良ケ浜(おらがはま)、滑
津、旭台、錦台、舘、市の沢。

きりがないのだが、富岡町には夜ノ森という面白い地名もあっ
た。新夜ノ森、松の前、宝泉寺、赤坂神社、正福院、八幡神社
、能台寺、諏訪神社、仏浜、山神社、慈眼寺、浄林寺。毛萱(け
がや)橋を越えると、福島第2原発の敷地だ。


▼ここまでノートに書いたのが、6月17日の午前で、これ以降
、ほとんどなにも書けなくなった。高瀬川渓谷で毎年紅葉を楽し
んでいた人たちは、今どこに住んで何を思っているのだろう。そ
う考えたら、泣けて泣けて仕方なかった。

理不尽ではないか。これらの地名にはすべて意味が【あった】。
しかし、これらの土地に住んでいきた人々は、問答無用で逃げろ
と言われたり、自宅から出るなと言われたり、「自主的」な避難
を呼びかけられたりした。宝のような生活の知恵や愛着の数々が
詰まった地名は、人間の手によって意味を根こそぎ奪われてしま
った。

自然災害なら無理も無い。しかし、千年単位の時間をかけて、無
数の人々の生活感情の染みわたった、これらの地名すべての意味
を、ほとんど一瞬で無に帰せしめるような、いったいどんな権限
が、誰にあったのか。

「民主主義」という擬制には、そんな途方も無い力が付与されて
いる。この単純な事実、人間の歴史で何度も繰り返されてきた無
情の事実を前に、ぼくの自意識の底は再び抜けてしまった。社会
的な物事を考える支点を失ってしまった。

来年は、「マスメディアとつきあう方法」について、これらの地
名や生活感情と関係し得る深度をもって、かたちにせねばならな
い。これまでもそのつもりだったが、まったく幼く、浅かった。

夢から醒めた、という、この実感を、共有可能な言葉で表現でき
るか、否か。先人に学び、あれこれ考えてみたい。