【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2014年12月14日日曜日

衆院選の意味

要注意! 無印は「支持」と同様に扱われます。

2014年12月12日付「東京新聞」20面
最高裁判事国民審査についての意見広告


【PUBLICITY 1960】2014年12月14日(日)
■衆院選の意味■


▼「沖縄タイムス」で大変勉強になる記事を読んだ(2014年12月11日付)。憲法学者である木村草太氏のインタビューだ。(社会部・下地由美子記者、デジタル部・與那覇里子記者)

きょう14日の衆院選では、最高裁の裁判官の国民審査も合わせて行われる。きのう寝込んでしまったので、書くのが遅れてしまったのだが、木村氏の論は、この国民審査について考える参考になり、かつこの「考え方」そのものがこれからいろいろ考える際の参考にもなるので、紹介しておこう。『国家と秘密』の紹介は次号以降に持ち越しってことで。

▼木村氏の論で重要なポイントは、以下の考えだ。

〈政治が都合のいい人事をするときの最大の特徴は、きちんとしたキャリアを積んでいない人を裁判官にすることです。政権にどんな意向があっても、やはり違憲なものは違憲なんです。裁判官は法律論で動きます。政権側の通したい法律論に無理があればあるほど、裁判官として任命できる人は限られてきます。

たとえば集団的自衛権を合憲と言ってくれる裁判官を選ぼうとすると、誰がみても有名でない法学者とか、裁判官の経験が少ししかない人のように、相当不自然な形になる。そういう人選では、最高裁がねじまげた憲法解釈をしてしまうことになります。〉

そりゃそうだナ。「裁判官は法律論で動きます。政権側の通したい法律論に無理があればあるほど、裁判官として任命できる人は限られてきます」という論理が重要だ。

▼きょうの国民審査で、鬼丸かおる、木内道祥(きうち・みちよし)、池上政幸、山本庸幸(やまもと・つねゆき)、山崎敏充の五氏が審査されるわけだが、ぼくは5人とも×。それぞれのくだしてきた判決に賛成できない。

木村氏はさらに突っ込んで、こう言っている。〈審査を使いこなすために大切なのは、シンプルに最高裁の裁判に興味を持つこと。全体の傾向が嫌だからと、全員にバツをつけても問題ありません。判決に反対意見を付けた人がいても、説得できなかったという点では全体の責任なのです。〉という。

これって当たり前のことなんだが、【全体の傾向が嫌だからと、全員にバツをつけても問題ありません】とハッキリ言ってもらわないと、「え、そんなことやっちゃっていいの?」と感じたり、躊躇したりしている人も多いだろう。きょうだけでなく、これからのあれこれを考えるためにも参考になる大切なインタビューだと思う。

また、木村氏は〈不都合なことを指摘されてすぐに怒り出したり、話をそらしたりする人は信用できません。不都合でも誠実に向き合い、解決策を探せる人を探し出すしかないと思います〉とも話している。これも「あたりまえ体操」で使えそうなくらい当たり前のことだが、こうした当たり前のことが当たり前でないと感じる出来事がたくさんあるから、木村氏は丁寧に説明してくれているのだろう。

彼の指摘の射程範囲は、「一票の格差」問題にとどまらない。

▼冒頭に引用した東京新聞の意見広告もまた、国民審査だけにとどまらず、たとえば衆院選にもあてはまる。無印=棄権は「支持」と同様に扱われる。

投票に行く人は、自分の得られる利益を増やすために行く。ょうの衆院選は大切な、とても大切な選挙であるにもかかわらず、投票率は下がるだろう。もちろん、投票に行く人が誠実なわけでもなく、行かない人が不誠実なわけでもない。

非正規雇用という「階級」の人口が増えているにもかかわらず、その受け皿となる政党がないと感じる人も増えているところにニッポンの国政の深刻な問題がある。坂野潤治氏の〈「階級史観」の復権〉という短文を読んで、そう感じた。(講談社の「本」2014年12月号)

きょうの衆院選は、格差社会ってどう動くものなのか、を示すひとつの象徴となるだろう。もちろん、きょうの衆院選が意味することは、それだけではないが。


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2014年12月10日水曜日

『国家と秘密』を読む~実害編その1


この国では、
国の命令で戦地に赴いて戦死した兵士たちの情報すら、
虫食いにしか残っていないありさまなのです。

 『国家と秘密 隠される公文書』34頁
久保亨・瀬畑源著、集英社新書、2014年


【PUBLICITY 1959】2014年12月10日(水)
■『国家と秘密』~実害編その1■
freespeech21@yahoo.co.jp


▼2014年を象徴する漢字を一文字選ぶとすれば、断然、

「秘」

でしょうナ。安倍晋三総理(岸信介の孫)や麻生太郎副総理(吉田茂の孫)の暴走が続いているから「孫」でもいいけど。孫だとあんまり迫力ないもんね。

▼きょう12月10日、特定秘密保護法が施行される。今年、国政のレベルでとんでもない暴走が続いたが、最悪の事例がこの法律の施行だった。全国紙では毎日新聞が粘り強く批判を続けている。

▼今年読んだ本からどれをオススメしようかと考えたが、とりあえず一番最近読んだ本を。前号で予告したとおり久保亨・瀬畑源の共著『国家と秘密 隠される公文書』 (集英社新書、編集者は伊藤直樹)だ。

本誌で集英社新書といえば、「水の民営化」問題で佐久間智子さんにロングインタビューした際、基本書として読み込んだ『「水」戦争の世紀』(モード・バーロウ、トニー・クラーク)である。しびれる傑作だった。

『国家と秘密』は『「水」戦争の世紀』と同じく、読んで、いったん解体して、自分の手で再構成するに値する良書だ。そうすることで、「国家と公文書と国民」にまつわる実像が浮き彫りになる。具体的には、

・国が情報を隠すことによる「実害」編
・法の網をかいくぐって隠す「カラクリ」編
・「その他」編

の3つの括りに分けてみたい。まず今号は「実害」編。


▼2014年10月に発刊された『国家と秘密』は、もちろん特定秘密保護法に対する批判に重きが置かれているわけだが、「知る権利」を考える射程距離がとても長いところに特長がある。

同法が強行採決された前後、「国民の知る権利」が云々という批判がたくさんあったわけだが、本書の劈頭(へきとう)、いきなり先入見を叩き壊される。

そもそも犯されるというに足るほどの知る権利を、戦後日本の国民は、持っていたのでしょうか?〉(13頁)

本書の前半は、この強烈な一文の証明に充てられる。いわば「公文書隠しから見た近現代日本史」、明治以降、日本という国家が様々な情報を隠したことによって、日本に住む人々がどのような実害をこうむったのかを示す実例のオンパレードである。

以下、内容の要約と該当頁数を列挙しよう。日本の「国益」とは「日本国民にとっての利益」【ではない】ことが、あらためてよくわかる。

無いも同然の経済財政文書 15頁~

〈例えば水質汚染や大気汚染による健康被害に関し、行政関係機関と一人ひとりの担当者が、どのような情報に基づきどのような政策判断をしてきたか、責任の所在はどこにあるのかということは、大部分が闇に包まれてきましたし、今もそうなのです〉(16頁)

薬害エイズ事件 16頁

水俣病 17頁

戦後外交文書の公開が遅すぎる 18頁

1931年、満州事変が勃発した時の情報隠し 19頁~

〈(1931年9月18日の)柳条湖での鉄道爆破事件が出先の日本軍(満洲駐屯の関東軍)による謀略であったことは、すでに史実として明白になっています。

日本の権益であった鉄道線路(南満洲鉄道株式会社線)を日本軍自身が爆破し、それを中国軍のしわざと偽り、その虚偽を口実に「中国を懲らしめる」軍事行動を開始したのでした。軍はそのことを秘密にしました。

しかし、爆破が日本軍の謀略ではないかという観測は、当時、外交官などからの連絡により日本政府の中にも流れていたのです。にもかかわらず、その情報は戦後にいたるまで公開されませんでした。(中略)情報がきちんと公開されていれば、日本は戦争への道に踏み込まずに済んだかもしれないのです〉(20頁)

1941年、太平洋戦争前夜の戦力比較 21頁
加藤陽子の研究(朝日新聞2013年12月3日付)に拠る

沖縄返還密約 21頁

2周遅れの情報公開
他の国と比べて
公文書館整備の遅れ(23頁)と
情報公開法制定の遅れ(25頁)がひどい。

公文書を焼く実例 31頁

そもそも太平洋戦争に負けた時、日本政府は国家にとって不利になるおそれのある公文書を焼くよう、正式に命令している。彼らは【公文書を廃棄せよと閣議決定していた】のだ。命令はじつに市町村レベルまで幅広く及んだ。今号冒頭の引用は、その一つの結果である。無惨なものだ。

一読、あまりにビックリしたので、引用されている論文の一つ「敗戦と公文書廃棄 植民地・占領期における実態」を読んで確かめてみましたよ。(加藤聖文、「史料館研究紀要」第33号、105頁、平成14年3月)。

〈公文書廃棄に関しては、一九四五年八月一四日の閣議によって機密文書の廃棄が決定され、これに基づいて各官庁では組織的かつ大規模な文書焼却が行われた。特に陸海軍では同日中に陸軍大臣の命令によって高級副官名で全陸軍部隊に対し「各部隊の保有する機秘密書類は速かに焼却」することを指令し、末端部隊に至るまで徹底した文書焼却が行われた〉(105頁)

うへー。しかも、というか、当然、というか、〈この指令は在京部隊に対しては電話、その他は電報によって伝達し、電報および原稿は焼却された。陸海軍における文書焼却については、原剛「陸海軍文書の焼却と残存」(『日本歴史』第五九八号、一九九八年三月)で紹介されているが、文書の焼却指令に関しては関係者の証言と焼却指令の写しがわずかに残存するのみであり、焼却指令の現物は確認されていないとのことである。〉(135頁)

▼憲兵隊では、なんと「防空壕の通風を利用すれば早く燃えるよ」とご丁寧なアドバイスまでしている。「防空壕等内に於て火力による自然的通風を利用し逐次投入するを早きとす」(憲電第一二〇五号)。

〈さらに、敗戦後の二〇日には、机・抽斗(ひきだし)の奥に付着したもの、焼却場の焼け残り、私物に綴じ込まれたもの、私宅にある書類・手紙類などに至るまで全てを対象とした検査によって「一片の残紙」も残さないように焼却の徹底化が図られた〉(106頁)

これじゃあ軍にとって不利な文書が残っているほうがおかしいよね。そのうえで今、歴史修正主義者たちは「公文書絶対主義」とでもいうべき建前をかざし、たとえば性奴隷の証言者をウソつきだと決めつけ、歴史の真実を歪めようとご執心なわけだ。

▼これで「実害」編の半分。長くなっちゃうので、続きは次号で。


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2014年12月3日水曜日

【PUBLICITY】1958:復刊のおしらせ

秩序を愛する人たちは、たえずくりかえされる殴りあいに嫌悪を感じていたが、しまいにはそれらに不感症になってしまった。これでもってヒトラーが権力の座についたとき、ナチスによる組織的な暴力とテロの使用への道がひらけたのである。かくてタールブルク市民が、その後のすべてを比較的平然として耐え忍んだ理由が説明されるのである。 
ウィリアム・シェリダン・アレン
『ヒトラーが町にやってきた』
西義之訳、番町書房、1973年
原題は"The Nazi Seizure of Power: The Experience of a Single German Town 1922-1945"

 
【PUBLICITY 1958】2014年12月3日(水)

■復刊のおしらせ■


▼じつはEマガジンの本誌ページが、2014年2月から11月までずっと封鎖されており、メルマガを発信できなかった。配信するために必要なひと月3000円は払い続けていたのに、だ。トホホ。運営者宛に何十回も「払ったよ」メールを出したのだが、一通の返信もなく、数日ごとにチェックしていたのだが、ある日突然開通していてビックリ。

ま、ボチボチ続けます。

で、これからもこういうことがないとは限らないので、Eマガジンで登録されている方は、「まぐまぐ!」か「メルマ!」での登録をオススメしておきます。

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▼超久しぶりの今号は、

〈今年=2014年読んで面白かった本〉を教えてください

というお願いです。今年発刊の本は勿論、懐かしい本も可。

昨年も同じ特集を呼びかけて、濱田武士『漁業と震災』(みすず書房)をはじめ何冊かのオススメ本を教えていただいたが、とにかく2月から11月まで閉鎖されちゃってたので、発信の時を逃してしまった。

▼ぼくが最近読んだ本のなかでは、

『国家と秘密 隠される公文書』
 (久保亨・瀬畑源、集英社新書)

が一押しである。くわしくは次号で。

▼この間(かん)、ニッポン社会はずいぶんといろいろなことがあった。締めくくりは、この師走のクソ忙しい時期に安倍晋三総理大臣はなにを血迷ったか衆議院を解散してしまった。

来年は、どーも嫌な感じがする。いいことが起こりそうな気がしないねえ。しかし、各種メディアを舞台にどれだけ「殴りあい」が続いても、精神的な「不感症」にならずに生きていきたいものだ。「マスメディアとつきあう方法」をめぐる考察あれこれ、興味があったらおつきあいのほどを。


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2014年5月2日金曜日

佐藤優の集団的自衛権論「今踏み込むのは絶対にダメ」

▼2014年4月22日付中日新聞に載った、佐藤優の集団的自衛権論に納得した(東京新聞は5月1日付)。もともと佐藤は集団的自衛権の行使に賛成している。しかし「今踏み込むのは絶対にダメです」と語る。なぜか。佐藤の論点は三つ。一つは「世界の中の日本」。二つは「安倍総理の内在的論理」。三つは「小松一郎内閣法制局長官」。

▼まず「世界の中の日本」。ロシアのクリミア併合である。「クリミア情勢をめぐって米ロの緊張がかつてなく高まっている。その中で、米国と密接なつながりがある日本が集団的自衛権の行使容認を表明すれば、国際社会に『日本はロシアと事を構えるのだな』と誤解されますよ」「ロシアからすれば日露戦争や旧日本軍のシベリア出兵の記憶を呼び覚ますことになり、北方領土周辺で日本漁船の拿捕(だほ)や銃撃が頻発するのは目に見えています」。言われてみれば、その通りだ。中国でも、ロシアでも、多くの人の想像を超える事態が進行している。

▼次に「安倍総理の内在的論理」。「信条を優先して国益を損ねる事態は、靖国神社参拝で懲りたと思っていたのですが…。先日の国際司法裁判所での調査捕鯨の敗訴も、日本が『国際社会の共通認識を持っていないのでは』との疑義を持たれていると読むべきです」。アメリカのオバマ大統領との共同記者会見を見ても、安倍総理はどうも自らの靖国神社参拝で国益を損ねたと思っていない可能性が高い。これは稿を改めて書く。

▼三つめの小松内閣法制局長官は、その「奇抜な言動」について。「憲法解釈をつかさどる重要な立場にいながら、野党の議員との怒鳴り合い騒動まで起こした。海外メディアの特派員も注目しているので、いずれ世界に発信されてしまいますよ」。まったくその通りだ。


▼そして「米ロが緊張し、議論を進める人にも問題がある状況下で解釈改憲に突き進むメリットが、私には分からない。意味が分からないということは不気味ですよ」と結ぶ。明快で、説得力がある。
佐藤優にしても憲法学者の小林節にしてもそうだが、「集団的自衛権の行使を認めるべし」と思っている人々のなかから異論が噴き出している現状が、どれほどの異常事態なのか、その社会の中にいると、麻痺してわからなくなるのかもしれない。

▼何年か前、「骨密度(こつみつど)」という言葉が流行ったが、上記の佐藤優のコメントを読んでいて「知恵密度(ちえみつど)」という言葉が思い浮かんだ。彼の政治・外交問題をめぐるコメントは、常に「知恵密度」が濃い。

佐藤優と與那覇潤(『中国化する日本』)との対談本を企画すれば、間違いなく面白いものになるだろう。もう誰かやってるかもね。

2014年4月24日木曜日

【コラムのお手本 新潟日報「日報抄」】

▼東西南北、日本中で毎日たくさんの新聞がつくられているが、2014年現在、ぶっちぎりでハイレベルなコラムは新潟日報の「日報抄」だ。もちろん、ジャンルの傾向や好みもあるだろうが、濃い密度(固有名詞が多い、展開が軽快)といい、ブレのない権力批判といい、かつての深代淳郎「天声人語」をしのいでいるかもしれない。二番手は日経の「春秋」だ。

2014年1月28日(原発)、29日(NHK)、2月9日(NHK)の「日報抄」を紹介しておく。

▼「1軒目で十分飲んだはずなのに「河岸(かし)を変えて」と誘われることがある。この「河岸」は「飲食する場所」という意味だから、英訳すると「base(ベース)」となるそうだ

2014年1月28日付「新潟日報」のコラム「日報抄」は、こんな書き出しから始まる。「ベースにはいろいろな意味がある」と続け、ベースは「決して脇役ではない」ことを確かめたうえで、政府のエネルギー基本計画案の「原子力発電所」=「基盤となる重要なベース電源」に照準を絞る。

▼茂木経済産業大臣は「基盤となる重要なベース電源」という表現について、「量や重要性を示す概念ではない」「(発電量が)1%だろうとずっと使う電源」と説明した。この珍妙な大臣会見を受けて、「そんなベースがあるなんて▼」という文の区切り方も秀逸だ。

▼さらにコラムは都知事選挙に触れ、自民党が2012年の総選挙で掲げた公約【原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指します】と、原発再稼働が閣議決定されてしまった現在とを比べる。そして「政策に自信があるなら正面から論陣を張るべきであろう。立ち合いで変化する相撲は横綱らしくない。そういえば「ベース」には「品位のない」の意味もあった」とバッサリ斬り捨てて締める。あまりに巧くて唸ってしまった。
▼翌1月29日付では、92歳で亡くなった詩人、金田弘(かなだひろし)の展示会(新潟の画廊で開かれた)に行った話から、金田の師である会津八一の鮮烈なエピソードを紹介する。

▼軍隊に入る金田に向かって、會津八一は「死んではいかん。必ず生きて帰れ。大学へ戻り学問を続けるんだ」と叫んだ。「「挙国一致」が叫ばれ、戦争に協力しない「非国民」を取り締まるため、研究先の奈良にも特高警察が現れる時代だった。それでも、監視の目が届かない所には、学者の八一に限らず、「お国のために右ならえ右」とはならない人々がいたのである」。

▼ここまでくれば、なにが俎上に上がっているかわかる。NHKの籾井勝人(もみいかつと)会長だ。籾井は会長就任会見で、NHK国際放送について「政府が『右』と言っているものを、われわれが『左』と言うわけにはいかない」と言い放った。コラムは「特定秘密保護法、学習指導要領解説書の改定、集団的自衛権への意欲…と矢継ぎ早の政策に国民こぞって賛成しているなどと、海外に流されては困る。八一のごとく鋭い眼光を公共放送に注がねばなるまい」と結ばれる。

軽快なテンポと権力批判が同居している。

▼NHK幹部の暴走については、2月9日付でも取り上げている。「伝法(でんぼう)」(=無銭飲食、無法な振る舞い)という言葉の由来(東京・浅草寺境内の伝法院)から書き起こし、「NHK経営委員には、ずいぶん伝法な人がいるものだ」と斬り込む。

まず、都知事選の応援演説(つまり公共の場。居酒屋の個室ではない)で「南京大虐殺はなかった」と叫び、他の候補を「クズ」呼ばわりした小説家の百田(ひゃくた)尚樹。政府が南京大虐殺を認めている事実を淡々と記して一蹴(いっしゅう)。

▼もう一人。男女共同参画社会基本法は女は出産と育児、男は仕事で妻子を養う」という「極めて自然な性別役割分担」を退けている、ここに人口減少の一因がある、と難癖をつける埼玉大名誉教授の長谷川三千子。

これに対してコラム記者は、新潟日報自身の連載記事を紹介する。育児中の母親を助けるために知恵をしぼる企業がたくさんある。様々な勤務形態。社内に保育園。国の助成金以上に経費を負担、えとせとら。そして「こんな企業には声援を送りたい。(本紙連載の)記事の写真には親子の笑顔。長谷川さんならどう思う」と締める。


筋が通っていて、しかも冷たくない。書き手の体温を感じた。

どんな記者が書いているのだろう。インタビューしてみたいものだ。ともあれ、「日報抄」は随時紹介したい。

2014年4月13日日曜日

【読書の前に】 『佐藤優の沖縄評論』

▼先月(2014年3月)から売り出されている『佐藤優の沖縄評論』(光文社知恵の森文庫)は、佐藤優がこれまで上梓してきた文庫本のなかで、デビュー作『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫)と並ぶ最も重要な一冊だ。沖縄に興味をもっている人は必読です。



▼佐藤は2008年1月から、琉球新報で毎週土曜日、「佐藤優のウチナー評論」と題するコラムを連載している。本書にはそのスタートから2010年3月6日までが収録されている(単行本は琉球新報社から2011年9月刊行)。全国に流通しない」という県紙の限界を越えるために、文庫というメディアは力を発揮するだろう。


▼沖縄・久米島出身の母と、東京出身の父との間に生まれた佐藤優は、「沖縄人と日本人の複合アイデンティティを持つ」(文庫版まえがき)と、自らの拠って立つ足場について説明している。そして今、佐藤の重心は大きく「沖縄人」に傾いている。

しかし、本土のマスメディアにしか接していない圧倒的大多数のニッポン人は、なぜ佐藤優が「沖縄人」としての己に重心を傾けざるを得なくなっているのかに、どうしても理会(りかい)できない。なぜか?

いま、本土のニッポン人による沖縄差別は、「もう一歩悪化すれば、とりかえしがつかない」ところまで悪化している。にもかかわらず、この沖縄差別の現実は、本土のマスメディアからは、ニッポン人に対して、ほとんど伝わらないからだ。

▼なにが起こっているのか。

「マスメディアとどうつきあうか」を考える時、参考になる本はたくさんあるが、そのなかの一冊に『マス・コミュニケーション理論――メディア・文化・社会』という上下本がある。値段は高いが良書。(スタンリー・J・バラン、デニス・K・デイビス、新曜社)

その一節を引用しよう。

〈たとえば、現状に強く疑問を提起する社会運動家たちについて書かれたニュース報道で、あなたが一番最近読んだものを考えてみてほしい。その社会運動はどのように描かれていただろうか。運動の参加者やリーダーは、どのように描写されていただろうか。 
なぜ、天安門広場で中国共産党政府に抗議した大学生たちは「民主主義のヒーロー」で、2000年および2001年にシアトルやワシントンやジェノバでWTOまたはIMFに抗議した人々は、「無政府主義者」であり「急進派」であり「過激派」であるのか。
社会運動についてどのように語られるかは、現状の問題点を暗示している。
(中略)
これまでの研究は、こうした報道ではたいていいつも社会運動が非難され、エリートが擁護されていることを示している。〉(下巻326頁~327頁)

▼この「呼び名」をめぐる問いかけは普遍的だ。現在ただいま、ニッポンの沖縄で、こうした構造的差別と暴力が、現在進行形で起こっているのだ。『佐藤優の沖縄評論』を読めば、差別のしくみがよくわかる。そのうえで全国紙と琉球新報や沖縄タイムスとを読み比べれば、差別がどれほど深刻かがよくわかる。

▼佐藤の並外れた筆力は、本書においては、沖縄への愛と母への愛によって支えられている。随所に繰り出される実践的な提言には、沖縄への愛、母への愛とともに「ラスプーチン」の切れ味が同居している。

▼本書には「このままではマズイ」という危機感が隅々までみなぎっている。その源は、佐藤自身の外交官としての、そしてインテリジェンス・オフィサーとしての実体験だ。

〈沖縄独立論を「居酒屋独立論」と揶揄する輩は二重の意味で間違えている。
第一に、歴史的に民族独立運動は、パブ、ビアホール、コーヒーショップ、喫茶店などの誰でも出入りができ、自由な議論ができる「居酒屋型」の公共圏から生まれることだ。
第二は、「居酒屋独立論」を揶揄する論者は、沖縄の圧倒的大多数の普通の人々は独立など望んでいないということを論拠とする。この論拠は民族独立運動に対する知識と感覚(センス)の欠如から生じる。
民族独立は、「普通の人々」から生じるのではなく、民族もしくは地域のエリートから生じるのである。県知事が大統領に、県議会議長が国会議長に、県議会議員が国会議員に、福祉保健部長が厚生大臣に、観光商工部長が観光商工大臣になりたいと本気で思えば、独立は実現するのである。「居酒屋独立論」からほんものの独立までに三年もあれば十分であるということを、ソ連の崩壊、チェコスロバキア連邦共和国解体で筆者は見た。そして、その初期の兆候が沖縄で現れていると筆者は認識している。〉(62頁~63頁、2008年5月17日付)

▼上記コラムが書かれてから、6年が経った。去年(2013年)の12月以降、事態はさらに悪化の一途をたどっている。それにつれて佐藤の筆鋒もいよいよ鋭くなっているが、その期間のコラムは残念ながらまだ書籍になっていない。

その期間のコラムのなかでぼくが最も心打たれたのは、2013年12月14日付のコラムだ。琉球新報を購読している図書館などで読めるだろう。

同紙12月24日付の「声」の欄に、そのコラムを読んだ77歳男性(那覇市在住)の投稿が載っていた。

〈12月14日付の「佐藤優のウチナー評論」に「腐れヤマトの政治家」という字面を見て、度肝を抜かれた。と同時に、ジーンとくるような共感を覚えて、胸が熱くなるのを禁じ得なかった。
普天間基地の辺野古への移設を強行しようとしている政府・与党の強権発動の策動に対する、佐藤氏の憤怒は尋常ではない。亡き母親(久米島出身)に、今、政府・与党が沖縄に襲いかかっている状況を、あの沖縄戦の最中に、日本軍が沖縄の住民に対してやった悪逆無道と重ね、「お願いです。あの世にある全ての力を沖縄に送って下さい。腐れヤマトの政治家に呪いをかけてください」とまで記述している。
私自身、ヤマト官僚や政治家らの、沖縄に対する理不尽な言動や振る舞いに対し、時には「クサリヤマトゥー」ということを口にすることがある。だが、家内からは「言い過ぎでは」との雰囲気があった。
それ故、新聞社のレギュラー評論の欄に、堂々と「腐れヤマトの暗躍断とう」という論説は、私のハート(魂)が揺さぶられるような衝撃を覚えた。そして「クサリヤマトゥー」と言っているのは、私だけではないことを確認できたのは、大いなる収穫を得た思いである。
これからも、ヤマト側の非道や差別に対して、厳しく対抗していきたい気持ちに拍車を掛けられた。それにしても、佐藤優氏はすごい。〉

▼「佐藤優のウチナー評論」が沖縄人の心に届いていることがよくわかる投稿だ。

今年、ニッポンの進路には、沖縄県知事選挙をはじめ、いくつもの難局が待っている。「国家」を相対化する力に満ちている本書を読むと、「文化」のもつ力を知ることができる。今、読むべき本だ。(680円+税)

2014年4月2日水曜日

Eマガジンのトラブルと、書きやすいブログ探し/2014年4月2日

▼いやー、ご無沙汰です。

▼じつはEマガジンが、発信するためのお金を払っているのだが(3ケ月で9000円)、ずっと発信できない状態でありまして、参っております。何度かメールを送っても音沙汰なし。トホホ。弱小サイトだから仕方ないのだが。

▼で、ライブドアのブログも書きにくく、書きやすいブログを探しています。グーグルのブログは書きやすいかも。発信が断続的なのは変わらないが、ちょっとこっちでやってみます。

▼見つけた方は、お久しぶりです。


2014年4月2日
竹山綴労
freespeech21@yahoo.co.jp

2014年1月7日火曜日

【読者の物語】 サッチャー論 2014年1月7日

【PUBLICITY 1954】2014年1月7日(火)
読者の物語 サッチャー論 ロンドンのみどりさんから

▼最近イギリスの大学生が下院議員におこなったアンケートで、「最良の首相」にサッチャーが選ばれたらしい。以下、讀賣の記事を要約。


【ロンドン=佐藤昌宏】ロンドン大学の学生らが第2次世界大戦後の12人の英首相(現職のキャメロン氏を除く)について、英下院議員にアンケート調査を行ったところ、昨年死去したマーガレット・サッチャー氏(保守党)が「最良の首相」に選ばれた。大胆な民営化など決断力が評価された。
2位は、国民保険サービスなどを導入して福祉国家を確立した、 戦後最初の首相クレメント・アトリー(労働党) 3位には1997年から10年にわたる長期政権を築いたトニー・ブレア氏(同)4位はウィンストン・チャーチル(保守党)
調査は昨年11、12月に行われ、下院議員158人から回答を得た。回答者の党派別内訳は、与党第1党・保守党約44%、同第2党・自由民主党約9%、最大野党・労働党約42%、その他約5%だった。(2014年1月5日21時22分 読売新聞)

▼1位のサッチャーと2位のアトリーは僅差だったらしい。

▼昨年、ロンドンのみどりさんからいただいたサッチャー関連のメールを2通、抜粋転載しておく。 次号以降、みどりさんのブログ「ロンドンSW19から」の気に入った部分を抜粋してみよう。

▼こういう良質な時事評論が、インターネットの時代になって増えているのか減っているのかわからない。おそらく増えているのだろうが、その何倍もの勢いで、そうでないものも増えているから、探し出すのが億劫だ。



サッチャー死亡の際にちょこっと書きました。労働条件の過酷化はサッチャー&レーガンの「小さな政府」から始まっていることがわかるかと思います(これを、よせばいいのに周回遅れで実施したのが小泉の雇用改革)。サッチャリズムの掛け声の一つは「ヴィクトリア時代に還れ」 だったんですが、労働条件までヴィクトリア時代にかえっちゃったってことかもしれません。
サッチャーがフェミニストだって!?
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/355880754.html
サッチャリズムが生んだイングランド暴動
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/355879414.html
サッチャーのfactチェック--金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/356351932.html
ではまた。 みどり

▼もう一通。


ヘレン・ミレンが「クイーン」になる前にIRA殉教者(ハン ガーストライカー)の母(息子の思いを裏切ってかれの命を救 う母)を演じていたのは特筆に値すると思います。西欧の女優は、乳房切除のアンジーもそうですが、自分の声の大きさを政治へのコミットメントに利用することをためらいませんね。 
▼今年(=2013年、竹山註)は、イギリスの女性参政権運 動のなかでハイライトとも言えるエミリー・ディヴィッドソンの「殉教」100周年で、サフラジェットに関するドキュメンタリーの放映や書籍の刊行が相次いでいます。サッチャーの活躍もこれがあればこそと思うと複雑ですけど。
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/154102817.html
日本もひどいことになっているようですが、保守党ぼっちゃん政権下のイギリスも「わや」です。


▼上のメールをいただいた頃から、ニッポンはまた随分ひどくなっているから、ニッポンでもどこかの大学生が同じ試みをしたら面白い結果が出るだろうね。


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2014年1月1日水曜日

相対化する力/2014年1月1日

▼2014年の元日の新聞で、興味深かったのは、琉球新報の「辺野古移設に関する米専門家の声」だ。2010年から2013年にかけて、「辺野古移設、マズイっしょ」とか「必要ねえんじゃね?」的な12人+2文書のコメント、考察、批判を一覧表にした記事だ。

カート・キャンベル、ランド研究所、上院軍事委員長、ジョセフ・ナイ、ジェラルド・カーティス、アーミテージなどなど。豪華な面々である。

こういう事実の列挙を目にすると、これまで本土のマスメディアは、いったい何を報道してきたのだろう、と首を傾げてしまう。

▼この日の琉球新報1面トップは、1968年から69年まで、嘉手納基地の弾薬庫内で枯れ葉剤が定期的に散布されていた、という元アメリカ兵証言である(島袋良太記者)。その弾薬庫の近くには軍用犬の訓練場があり、1968-73年の軍用犬の腫瘍発生率は、ベトナムの倍だったそうだ。新年号にふさわしい内容だ。

記事には地図がついていて、その弾薬庫地区や元軍用犬訓練場のすぐそばを、比謝川(ひじゃがわ)が流れ、西が読谷村、南が嘉手納町。陸上競技場や「道の駅かでな」も、すぐ近くにある。

▼ほかにも、東京新聞1面トップの「東京電力が免税国オランダを活用して税金を逃れ、海外に210億円蓄財している」という報道や(桐山純平記者。この記事は、東日本大震災の被災者が仮設住宅で一人暮らししている写真と組み合わせたレイアウト)、

朝日新聞の「第一次世界大戦」考(近藤慶太郎記者/ドイツとフランスの共同教科書=剣持久木コメント、山田慶兒『海路としての尖閣諸島』紹介)に、ニッポン社会を覆いつつある空気を【相対化する力】を感じる。

安倍総理の靖国神社参拝を重ねて批判した、アメリカ国務省の「『失望』の意味は明確」というコメントを紹介した記事(東京新聞)も然り。

▼こういった報道は、いわば「1日だけのベストセラー」であり、すぐに忘れられてしまう。そもそも、県紙の良質な報道は広く流通しない。そして、良質な報道を「ほめる文化」が、ニッポン社会には乏しいと感じるわけさ。だから、いい報道は、ドシドシほめようと思う。

▼物事を「時をおいてながめる」には、ふだん使わない努力を要する。それは「反射」とは異質の力だ。コーヒーやジンジャーエールを飲みながら、うんうんと唸る力だ。

論理だけでもない、感情だけでもない、生活の底に根ざした言論こそが、客観報道の呪縛を破る力になるのではないだろうか。