【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2015年1月28日水曜日

ロレッタ・ナポリオーニ『イスラム国』

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結果がどうなるにせよ、外国の軍事介入が中東の不安定化の解決にならないことははっきりしている。これまでにも解決できなかったし、これからもできまい。

したがって、これ以上の犠牲や破壊を食い止めるためには、より現実的なアプローチが必要になる。その際には、この地域に新しいパワーが存在することをまず認識し、代理戦争は結局ブーメランのように我が身に跳ね返って来るだけであることを理解しなければならない。

この新しいパワーに対抗するには、戦争以外の手段を模索すべきである。

ロレッタ・ナポリオーニ
『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』
文藝春秋、168頁、村井章子訳
2015年1月10日 第1刷
原著
THE ISLAMIST PHOENIX
The Islamic State and the Redrawing of the Middle East
(2014)
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【PUBLICITY 1962】2015年1月28日(水)
■ロレッタ・ナポリオーニ『イスラム国』■
freespeech21@yahoo.co.jp

▼せっかくメールをいただいている方、ごめんなさいね。『国家と秘密』の紹介も一回飛ばして、今号はこの本を紹介する。

ロレッタ・ナポリオーニ『イスラム国』文藝春秋

編集者がドイツのブックフェアで見つけて素早く翻訳したというウワサを耳にした。イスラーム国に興味のある人(ということは2015年1月20日以降の日本人ほとんど全員)に強くオススメする。『国家と秘密』は2014年の年末に熟読すべき名著だったが、『イスラム国』は2015年の1月、たった今、熟読玩味すべき一冊だ。ぼくのツイッター @offnote_ をフォローしてくれている人はすでにご存知だろうが、ナポリオーニ氏はツイッターもやっている。 @l_napoleoni 真っ当な指摘が多いです。

▼イラク戦争の時、ぼくは本誌のアタマに「ニッポン、戦争中」等と掲げて何通も発信したが、2015年の今もニッポンは戦争中である。そう認識したほうが、誰が眠たいことを言っていて、誰が鋭いことを言っているのか、いろいろとわかりやすくなると思う。

安倍政権は今年、安保法制をどうこうしようとしているが、ニッポンの外で、安倍総理や官僚たちはただ翻弄されるしかない、はるかに大きな波がうねっているのではないだろうか。

▼「イスラーム国」による二邦人の人質事件について、最新ニュースを確かめておこう。

〈後藤さん不明、昨年11月に把握 首相、答弁で明かす
2015年1月27日20時59分 朝日新聞デジタル

過激派組織「イスラム国」に拘束されているフリージャーナリスト後藤健二さん(47)について、安倍晋三首相は27日の衆院本会議での代表質問に答え、「昨年11月に行方不明事案の発生を把握した直後に、官邸に(情報)連絡室、外務省に対策室を立ち上げ、ヨルダンに現地対策本部を立ち上げた」と述べた。「イスラム国」が後藤さんの拘束をインターネット上で告知する約2カ月前から、政府が対応に動いていたことが明らかになった。

政府は昨年8月16、17日に、「イスラム国」による会社経営者湯川遥菜(はるな)さん(42)の拘束事件のために情報連絡室などを設置した。菅義偉官房長官は27日の会見で、後藤さんの事件について、いずれも昨年11月1日付で、湯川さんの事件で設けた情報連絡室の対象に追加するなどしたと説明。後藤さんの行方不明を把握しながら水面下で対応していたことについて「事案の性質上、非公表とした」と説明した。

政府高官は27日、後藤さんを11月の時点で政府対応の対象とした理由について「(後藤さんが)音信不通で行方不明と判断した」と語った。ただ、その際には後藤さんが拘束されたとの情報は得られていなかったという。

首相は答弁で、昨年8月に拘束された湯川さんと、その後に現地入りしたとみられる後藤さんの消息を確認するため、「あらゆるルートを通じて情報収集や協力要請を行ってきた」と経緯を説明。「極めて厳しい状況だが、後藤さんの早期解放に向けて全力を尽くす」と語った。〉


〈湯川さん「殺害」のネット画像 政府、公開前に把握
2015年1月27日05時03分 朝日新聞デジタル

過激派組織「イスラム国」による人質事件で、日本政府は24日深夜にインターネット上に公開された拘束中のフリージャーナリスト後藤健二さん(47)の画像について、公開されるよりもかなり早い段階で把握し、音声の内容もつかんでいたことが政府関係者への取材でわかった。

政府はこれまで、24日午後11時過ぎにネット上に公開された画像を把握したとしていた。画像の後藤さんは手に写真を持っており、写真の中には千葉市出身の会社経営者湯川遥菜(はるな)さん(42)が殺害されたとみられる様子が写っていた。また画像には音声があり、後藤さんを名乗る男性の声で、「イスラム国」の要求が身代金からヨルダンで収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放に変わったことを告げていた。

政府関係者によると、政府は画像を分析し、信憑(しんぴょう)性が高いと判断。安倍晋三首相はこの画像の情報を踏まえ、24日午後5時半すぎ、ヨルダンのアブドラ国王との電話協議の際に、「イスラム国」の要求が女性死刑囚の釈放に変更されたことを国王に伝えたという。この電話協議について、日本政府は約20分間という協議時間と同席者の名前以外は一切公表していない。〉

ちなみに身代金の額は2億ドルだった。映像が公開されるはるか前から事件は進んでいたわけだ。

▼そのうえで、『イスラム国』から現時点で重要だと思った箇所を三つ引用したい。まず一つめが冒頭のくだり。本書の結論である。続きをもう少し。


「アラブの春」の失敗。「イスラム国」の成功。これ以外に、第三の道はありうるのだろうか。答はイエスだ。第三の道には、教育、知識、そして変化の速い政治環境に対する深い理解を必要とする。〉(170頁)

▼二つめは、アメリカとイギリスの国策について。ここ数日ですでに各種報道に触れて、ぼくたちは散々思い知ったわけだが、さらに突っ込んで分析されている。適宜【】をつけた。

人質解放のために交渉はしないというアメリカとイギリスの方針により、英米人は誘拐されたら斬首されることを知っている。ジハード戦士のチャットルームやツイッターのメッセージを見ると、「イスラム国」の同調者の間では、この方針は英米国民の恐怖心を煽る戦略だと考えられているらしい。「イスラム国」に対する恐怖がつのるほど、軍事介入に広く支持を得る政治環境が整うからだ。

ちょうど二〇〇三年のイラク侵攻のときと同じである。

ただし今回の目的は、【侵攻ではない】。中東における欧米の同盟国、とりわけサウジアラビアを始めとする湾岸諸国を、カリフ制国家の革命的なメッセージから【守ることにある】。放置しておいたら、カリフ制国家はほんとうにこれらの同盟国の内部で革命を引き起こしかねない。〉(128頁)

つまり、日本が追従している米英の国策は、イラク戦争時と変わっていないのだが、その意味が「攻め」から「守り」へ変わっているというのだ。

▼そして三つめ。【本質は宗教戦争ではなく、現実的な政治戦争だ】という指摘だ。()は引用者。

じつに理解しがたいことだが、欧米の大国は、中東で繰り広げられているのはあくまで宗教戦争であって、その発端は七世紀アラビアの宗教的確執にあると信じ込んだのである。しかし、似たような紛争がキリスト教徒の間で起きた場合、その原因を宗教に求めることはめったにない。まず必ず、政治的要因を探すはずだ。

(中略)今日、(イスラーム国などのスンニ派から)シーア派に対して行われる背教者宣告は、イラク、シリア、さらには他の地域で内戦状態を引き起こすことを目的とする。なるほど一見すると、宗教を理由とする戦いであって、政治的・経済的権益とは無縁であるように見えるかもしれない。しかし一五世紀のヨーロッパと同じく、真の動機は政治的・経済的なものであり、そのルーツはこの地域の権力抗争にある。

(中略)一言で言えば、シーア派の抹殺は、政治・経済の両面でカリフ制国家の運営を容易にすると同時に、スンニ派の間にわだかまる復讐心を満足させ、新しい国への忠誠をいっそう強めることになるのである。〉(151頁)

▼本書をよく読むと、イスラーム国がシーア派とスンニ派とを分断し、「ナショナリズム」を煽ることによって勢力を広げたことが納得できる(48頁、50頁)。

おそらく最も読者の表情をこわばらせるのはイスラエルとイスラム国との対比だろう。29頁、80頁、88頁に書いてある。

イスラーム国が拡大した原因については、国連安保理の機能不全(112頁、157頁)、代理戦争の仕組み(67頁~72頁)、宗教の悪用(118頁、126頁)などが細かく論じられている。

それぞれ細かく紹介したいが、数年前のようにたくさん書く余裕がないもんでネ。「読みたいけれど1458円がない」という人は近所の図書館で借りてください。


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2015年1月17日土曜日

『国家と秘密』を読む~実害編その2


マラーやデムーランの監督下では、咬みつきたがる獰猛な番犬だった新聞も、 
これはしたり! 嬉々として尾(しっぽ)を振りながら、 
彼の足もとにじゃれついてくるではないか。 
新聞だって鞭をくらうよりも、ビスケットを食うほうが好きなのだ。

ツワイク『ジョゼフ・フーシェ』岩波文庫、144頁、高橋禎二・秋山英夫訳



【PUBLICITY 1961】2015年1月17日(土)
■『国家と秘密』~実害編その2■
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▼『国家と秘密』(集英社新書)に列挙された「公文書隠しの実害」の歴史を続ける前に、毎日新聞の良記事を紹介しよう。大阪社会部の日下部聡記者が1月8日付で書いた記事。キーワードは

〈「どうなる」ではなく「どうする」〉

▼前号でぼくは、『国家と秘密』から

〈そもそも犯されるというに足るほどの知る権利を、戦後日本の国民は、持っていたのでしょうか?〉(13頁)

という強烈なライトモティーフ=Leitmotivを引用した。ただしもちろん、知る権利はわずかかもしれないが「ゼロ」ではないし、そのゼロではないものを広げる努力に価値はある。

〈(戦後日本の情報公開や司法のチェックが)十分に機能しているかどうかは議論の余地がある。しかし、戦前になかった多くの民主的な制度を私たちが手にしているのは事実だ。

日下部記者はこの「事実」を地道に示してきた優れた新聞記者の一人だ。〈情報公開法に基づき、私は特定秘密保護法案の検討過程の記録を開示請求した。段ボール箱約20個分もの文書が届いた。黒塗りもあったが、分かったことも多かった。▽内閣法制局が当初、必要性に疑問を呈していた▽原案を作った内閣情報調査室は、法が国民の基本的人権を侵害する危険性を認識していた――などと記事にした。〉

▼また、ある警察庁幹部からは、匿名ながら次のコメントを聞き出している。

「今は公開できない情報も、後世の人々には記録として残していく必要があると思うのですが」という質問に対し、

「それはそう思いますよ」「外国から情報を受け取るために、法が必要なのは確かです。しかし、実務上はこれまでも特に困ったことはない。個人的には、罰するのは公務員側だけにするとか、もう少し絞った法律でもよかったと思う」

▼もう一つ、特定秘密保護法に反対し、成立後は同法の運用基準をつくる諮問会議委員になった清水勉弁護士のコメントも印象深い。

〈反対派からは「取り込まれた」と非難する声も上がった。しかし、清水氏は言う。「『成立したら負け』ではないのです。できてしまった以上、少しでもまともな法律にするにはどうするかを考え続けなければならない」

まったくそのとおりだ。〈運用基準には清水氏の意見も一定程度反映された。諮問会議は今後も年1回、法の運用状況に意見を述べる。〉

記事の末尾は〈特定秘密だけに目を奪われることなく、あらゆる非公開情報に民主的なコントロールの仕組みを埋め込んでいかなければならない。情報管理の基礎となる公文書管理法の充実も重要だ。主権者である私たちは、「どうなる」ではなく「どうする」を考えたい。〉と結ばれている。完全に同意である。

新聞記者は自らすすんで権力の鞭をくらう必要はない。と同時に、すすんでビスケットを食らう必要もない。しかし、あちらでもこちらでもビスケットをくわえ始めた時、くわえないだけで同調圧力にさらされるきらいが、ニッポン社会には強い。「知る権利」を押し広げるスピードは、まるでカタツムリのようだ。



▼さて、公文書隠しの実害編を続けよう。

公文書を焼いて、隠したおかげで、どえらいこともしでかすことができた。「東京裁判」である。とにかく文書=証拠が消えたわけで、〈日本側は尋問などに積極的に協力することで、判の方向づけにかなりの影響力を及ぼすことができたのです〉(36頁)

▼また、〈日本近現代政治史研究者の世界では、

公文書には重要資料はろくに残っていない。遺族の元をまわって私文書を収集する方が重要

という認識が「常識」ですらあった〉という。(37頁)

たとえば、わが日本では〈海軍の最高機密文書が一財団法人の手によって保管されていた〉(35頁)ことをご存知だろうか。ちなみにこの文書は海軍の最高統帥命令である「大海令」だ。

▼〈(敗戦までの)官僚たちは、「天皇の官吏」であり、国民に対する説明責任を負っていませんでした。〉(42頁)。

そして敗戦後もいわゆる「縦割り行政」の仕組みは残り、

法は変われど、行政法は変わらず

と相成った(50頁)。さらに後年、行政管理庁が進めた文書の廃棄によって

〈「戦前の方がまだ公文書は残っている。戦後の方が残り方は酷い

という話を色々なところで耳にします〉(55頁)などという事態が進んだ。国立公文書館は独立行政法人と化した。つまり国の機関ですらなくなった(80頁)。

▼『国家と秘密』には、公文書隠しにまつわる有名な事件も続々と紹介されている。

1995年。高速増殖炉「もんじゅ」がナトリウム漏れで燃えた時、〈動力炉・核燃料開発事業団が事故直後の映像を編集して公開し、事故を小さく見せようとしたことが発覚。〉(73頁)

1996年。〈薬害エイズ問題に関する重要な資料が「発見」され、菅直人厚相がそれを公開して謝罪する事件がありました。〉(同頁)

同じころ、「住専=住宅金融専門会社」の不良債権処理(なつかしいなあ)が大問題になっていた。〈大蔵省が過去に行った住専への検査結果を「守秘義務」を名目に隠そうとしたことも注目されました。〉(同頁)

2007年の「消えた年金問題」も、要するに〈公文書管理がずさんであったが故に〉起きた問題だった。(86頁)

C型ウイルス感染」もあった。文書管理のずさんさが、国民に実害を与える(87頁)典型例なので、少し長いが引用しておく。

〈二〇〇二年にフィブリノゲン製剤の投与によるC型肝炎ウイルス感染についての報告書を作成した際、患者名が記載されていた症例一覧表を入手していたにもかかわらず、本人へ罹患を告知しなかったことが二〇〇七年に発覚したのです。このため厚労省は、故意に事実を隠した疑いがもたれました。

この批判を受けて、厚労省は調査チームを立ち上げました。その調査の結果、放置された理由の一つとして、「倉庫内の文書の保管や管理は極めて不十分で、文書管理に組織としての問題があった」ことが挙げられました。放置された資料が保管されていた地下倉庫は、「どの書棚にどの書類がある」かが系統立てて整理されておらず、文書ファイルの背表紙に件名が記載されていない、ダンボールに入れられて文書が放置されているなど、まともな管理がなされていない状態にあったのです。この結果、重要な文書が見つけられずに放置されたのです。〉(同頁)

▼実害編、もうちょっと続く。


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