【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2015年10月11日日曜日

読者の物語 人種について

 
【メディア草紙】1983 2015年10月11日(日)

■読者の物語 人種について■

▼前号「【メディア草紙】 1982 ラグビーとノーベル賞とニッポン人」に対して下記の投稿をいただいた。とても考えさせられる内容だった。適宜▼


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2015/10/7, Wed

『アメリカ人と日本人と、日本人種のコメントに、思わず、コメントしたくなりました。』

▼私はもともとの日本人種の日本人ですが、主人は日本に帰化した日本人で、娘は日本国籍を持つとはいえ「混血人種」だから、ハーフと呼ばれます。さらにその息子は、クオーターと呼ばれる、日本に来ると異常みたいに扱われる国籍不明児です。ただし家族は全員日本国籍を持っていますが、私以外「日本人」と呼ばれたことありません。

▼私はよく、アンケートというものに応えていますが、そこに必ず、『あなたはハーフやクオーターでなく、日本人ですか?』という確認があり、そこに『ハーフやクオーター』は国籍不明で、日本人ではないという潜在意識があるのを感じます。

ダルビッシュのことを、皆がハーフだハーフだというので、国籍をきくのですが、誰も答えてくれません。父母のどちらの国籍を持っているのかも教えてくれません。『ハーフ』という国籍も、または人種もないはずで、そういってしつこく食い下がっても、私の問いの意味がわからず、『ハーフ』以外のことばが返ってきません。

この異常さを不思議に思う人物を、初めて竹山さんの記述で発見しましたよ。「あなたは、『まともな』日本人ですか? 竹山さん、」なんて、思わず質問したくなりました。いや、失礼しました。

▼私は主人の父祖の姓であるエスコバルを名乗っています。主人が国籍をとるとき、姓を決める段になって、私の旧姓を名乗れと猛反対する日本の戸籍係を受け持つお役人様に、私は『主人のアイデンティティーを守りたい』から、主人の姓を残すのだと主張しました。彼らは『善意で持って』そういうことをすると家族全員がいじめにあうぞと脅しましたよ。それで、私は、父母の戸籍から独立して、わざわざエスコバル姓を創立し、それから日本の方式に従って、結婚し直しましたよ。

実は主人は日本の会社に就職し、あるとき私は自己紹介の仕方を教えられたという主人の言葉を聞きました。『僕、土人です』というんです。すごいでしょ?これ。実は日本にいた18年間、ずっと主人はこれを言っていましたので、私のそばで、『私は日本の土人です』と名乗り続けました。この後は割愛。

▼ところで娘は当時5歳で、国際結婚の場合、父親が日本人の場合のみ、許されていた日本国籍が、母親が日本人の場合でも国籍取得が認められるようになりました。彼女の名前はRocio Sakurakoと申します。お役人様はこの時も『桜子』だけにせよと強要してきました。それもいじめを予測しての親切からでした。それで私は一計を策し、Rocioの意味が『露』であることを利用して、漢字で『露桜子』と命名しました。読みは何だっていいはずです。それでも受理を渋るお役人様に私はもうしました。

「日本漢字の訓読みはもともと意味をとって日本民族の読みにしているはずで、だいたいもともと日本を表した『倭』も『日本』も『やまと』とはよめないはずだ、『露』を本来の意味の『ろしお』と読ませて何が悪い。そもそも明治の御代に森鴎外は、自分の息子娘に、オットーだの、アンヌだの命名して不思議がられなかったのに、昭和の御代の平民は、名前の自由がないのですか?』とね。其の事情、思わず、かきたくなりました。関係のないことで、申し訳ありません。でも、でもでも、です。日本、変です。はい。

エスコバル瑠璃子(名前はもう、ネット中に広がっています。本名でどうぞ。本名でないと、この記述意味をなしませんから。)
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▼エスコバル瑠璃子さんの指摘する「『ハーフやクオーター』は国籍不明で、日本人ではないという潜在意識」は、「足を踏まれる側」だから気づいた事実だと感じた。おそらく瑠璃子さんの家族は数限りない差別に遭ってこられたのだろうと拝察する。

森鴎外の先例を出して役人に切り返す場面を読んで、ぼくは思わず快哉をあげた。メール感謝します。

▼先日発売されたばかりの「文藝春秋」2015年11月号に、関連する話が載っていたので紹介しておきたい。宮本エリアナ氏(ミス・ユニバース日本代表)の「ハーフでいいじゃない」というエッセイだ。


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〈実は、最初に「ミス・ユニバースに出ませんか」と声をかけてもらったとき、あまり興味を持てませんでした。

気持ちが変わったきっかけは、昨年の春に私の友人が、ハーフであることを理由の一つとして自らの命を絶ってしまったことです。「自分の居場所がわからない」と相談を受けていた矢先の出来事で、彼はまだ二十歳でした。

ハーフへの偏見や差別をなくして、このような悲劇が二度と起きないようにするためにも出場することを決意したのです。〉
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▼重い話だ。前号のラグビーの話題に戻るが(日本代表は決勝進出できず、残念だった)、大敗したスコットランド戦で、途中退場したマフィ選手を覚えている人も多かろう。彼は、【祖国であるトンガの代表入りを断って、日本代表を選んだ選手】である。そういう選手は、他にもいる。

「ハーフ」への偏見、差別を溶かすようなルポ、連載を、どこかのマスメディアで力を入れてやってほしいものだ。

▼ここで「彼」の発言を引き合いに出すと、嫌な思いをする人もいるだろうが、とてもわかりやすいので引用しておきたい。日本国の「象徴」である天皇は、2001年に下記のように発言している。宮内庁のサイトから。適宜【】


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http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html

天皇陛下お誕生日に際し(平成13年)
会見年月日:平成13年12月18日
宮殿 石橋の間

日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。

【私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。】

武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。

しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。

ワールドカップを控え,両国民の交流が盛んになってきていますが,それが良い方向に向かうためには,両国の人々が,それぞれの国が歩んできた道を,個々の出来事において正確に知ることに努め,個人個人として,互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ,このことを通して,両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。
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▼日本と韓国とが「同胞」であると宣言した、この「韓国とのゆかり」発言は、まさに「象徴的」だったわけだが、さて、見た目とか名前とかで人間を分断する血縁主義に凝り固まった日本国籍の人間と、マフィ選手と、どちらが「ニッポン人」らしいだろうか? 「論理」で考えれば、結論は決まりきっている。しかし「彼」の発言は、この社会の「気分」によって見事に無視された。

この「無視する人々」の系譜は、どこまで遡(さかのぼ)れるだろうか。すぐに思い浮かぶのは、関東大震災の時に朝鮮人を大量に虐殺した民間人たちや、散々煽った官僚たちである。

しかし、命懸けで朝鮮人を守った人、守ろうとした人もいた。

無視する人と、無視される人と。
「同胞」を殺す人と、守る人と。
どちらが「ニッポン人」らしい系譜だろうか?


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竹山綴労


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