【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2015年10月26日月曜日

春画展余聞(よもん)、あるいは公序良俗と自由 その5

【メディア草紙】1990 2015年10月26日(月)

■春画展余聞(よもん)、あるいは公序良俗と自由 その5■


▼江戸時代、春画の出版が非合法になることによって、かえって春画の豪華版がつくられるようになり(by平凡社の百科事典)、内容も、交合図=性交を描いた作品が増え、非交合図が減っていった(by白倉敬彦氏『江戸の色恋』)。前号では、こうした性風俗の取り締まりによる、取り締まる側にとって思いがけない変化――それは現代を彷彿(ほうふつ)させる――の歴史を振り返った。

また、ポルノを解禁した北欧ではポルノがほぼ消えた現状にも「知らなかった」という読者からの声があった。

▼春画展で浮世絵春画の実物を見てみると、まず、その摺(す)りの見事さに舌を巻く。豪華絢爛という四字熟語を絵に書いたような、って、実際に書いてるナ。そして、描かれている市井の世界の豊かさは、何度強調しても足りない。

永青文庫「春画展」のカタログで、早川聞多氏――今号でのちほど再登場する――が、春画の「登場人物」の変遷についてコンパクトにまとめている。それは、ぼくが浮世絵春画を好む理由でもある。


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〈伝統的な肉筆春画巻ではその登場人物のほとんどが公家の男女か武家の男女であり、時に僧尼が出てくる。またなかには遊女と思はれる女性たちが登場してゐる。(中略)

一方、浮世絵春画に登場するのはそのほとんどが一般庶民の男と女である。浮世絵は江戸初期に二大「悪所」をいはれた遊郭と歌舞伎の世界からうまれたといふ通説から、浮世絵春画に描かれた男女は遊女と客の男、または享楽に耽(ふけ)る好色な男女たちが中心と思はれがちであるが、遊郭や歌舞伎の世界を舞台にした浮世絵春画は実は1割にも満たない。浮世絵春画の花形である大判12枚組物においては、遊女が1、2図も出てゐれば多い方で、12図全図が庶民の性風俗を描き分けたものであることが多い。

庶民といつてもその身分や職業は実に多種多様であり、また都市民だけでなく数は少ないが農民や漁民、山人(やまびと)といつた人々も登場してくる。さらに彼らの年齢も添乳(そえぢ)される乳児まで入れると、乳幼児から少年少女、思春期から青年期の男女、結婚した夫婦から中年の男女、さらには老夫婦から独り身となつた老人まで、人間の生涯にわたる性風俗が描かれてゐる。なほ浮世絵春画にも公家や武家の男女、また僧侶や聖職の男たちがしばしば登場するが、その割合は特に目立つほど多くはない。〉
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▼浮世絵春画に描かれる人物は、ほとんどが一般庶民なのだ。春画のなかには葵の御紋が描かれたものもあり、将軍に縁のある人物が使ったものだといわれている。天皇家が成人の記念に春画制作を画師に命じたり、大名は新年のお祝いに春画を贈ったり、そして時代がくだると、さまざまな百姓も含めてあらゆる階層の人々が春画を楽しんだわけだが、「春画展」に行けば、まさにその通りの歴史の変遷を目の当たりにすることができる。

また、春画に描かれる女性は、不思議なことに着物を着たままの場合が多いわけだが、これは呉服屋がコラボしていたからだ、と、白倉氏のどの本だったか忘れたが書いてあった。春画を見て「あら、新しい柄ねえ。いま流行りなのかしら」と言って着物を買う、という寸法だ。つまり浮世絵春画は最新のファッション誌の役割も果たしていたわけだ。

ことばの本来の意味での「猥褻」――庶民の普段着――が、そこには描かれている。

▼今号では、ニッポンの風刺文芸の最高傑作とも評される(ぼくもそう思う)、とはいってもほとんど知られていない『女大楽宝開(おんなだいらくたからべき)』を紹介しようと思ったが、たぶんちょっと脱線します。

ちなみに『女大楽宝開』は、永青文庫の「春画展」では11月1日までしか展示していないのでお早めに。来年は京都で同様の春画展が行われるそうですよ。

▼さて、春画の解説本はいまやたくさんあるが、前号で紹介した白倉敬彦氏の『江戸の色恋』とともに、アンドリュー・ガーストル氏『江戸をんなの春画本 艶と笑の夫婦指南』(平凡社新書)も強くオススメしておく。880円+税。

この本は、平凡社のウェブサイトではまさかの品切れ重版未定だが、丸善&ジュンク堂や紀伊國屋書店などの大書店だと、けっこう店舗に在庫が残っていたりする(どうした平凡社、商売っ気がないねえ)。

▼江戸時代の女性にとって、春画はどんな意味をもっていたのか。ガーストル氏は、1705年に出版された春本『好色はなすすき』の跋文(ばつぶん)を引用する。


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〈それ枕絵(春画)は、よめいりのとき第一の御道具也。

男とても持たでかな(適)はぬ物なり。

そのいわれをたづ(尋)ぬるに、人の心をよろこばしむるゆへなるとかや。

武士之具足櫃(ぐそぐびつ)に入るも此故(このゆえ)成べし〉
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この、現代人にとっては衝撃的な跋文を解釈して、同氏はこう述べる。


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〈枕絵が嫁入りの第一の道具であると主張しているのに驚かされるが、それに続いて、男にも必須のものだと言う順序が、現代の私たちが春画に対して抱いているイメージとかけ離れているのが面白い。

「人の心をよろこばしむるゆへ」という理由づけの意図ははっきりしている。つまり、儒教や仏教における「欲望・淫欲は邪(よこしま)である」という教えを批判し、性の愉しみは人生に欠かせないものであり、婚礼の後の夫婦の道にも必要なものだと主張しているのだ。

春本の中にこのようなことが書いてあるのには、女性読者を獲得しようという作者吉田半兵衛の意図もあったと見られるが、春画を嫁入り道具のひとつとする認識は、この本のみならず、江戸時代の文献にはよく現れる。〉(23頁)
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▼春画は江戸の日常生活とともにあったんですねえ。で、脱線はここから。続けてガーストル氏は次のような挿話を引いて、近代ニッポンにおける生活風俗の激変を映し出す。


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〈国際日本文化研究センターの早川聞多教授は、日本で初めて公立の図書館(つまりセンター内の図書館)における春画や春本の収集を始められ、春画に関する著書も多く出版されている。そのためか、日本各地の高齢の女性から、自分の嫁入りの時に春画をもらったが、次の世代は春画を所有していることを恥ずかしいことだと考えているため、自分の子孫に託すこともできないので、センターに寄贈したい、という手紙をもらうことがあるそうだ。

同じような話は他にも聞いたことがあるので、嫁入り道具に春画を含める慣習は、現代からそれほど遠くない昔まで珍しくなかったようである。その態度が極端に変化したのは特に戦後のことと思われる。〉(24頁)
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▼日露戦争(1904-5年)では「勝絵」(春画のこと)を軍服に忍ばせて従軍した日本兵がたくさんいたそうだ。いっぽう嫁入り道具としての春画は、とにもかくにも20世紀中盤までは機能していたっぽい。そして今は絶滅した。なにがきっかけで、どこで変わったのか、おそらくすでに研究している人がいると思う。

▼ところでぼくはこの一文を読んで、宮本常一の『忘れられた日本人』を思い出した。具体的には、「文字をもつ伝承者」という章の一文である。適宜【】


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〈文字に縁のうすい人たちは、自分をまもり、自分のしなければならない事は誠実にはたし、また隣人を愛し、【どこかに底ぬけの明るいところを持っており、】また共通して時間の観念に乏しかった。とにかく話をしても、一緒に何かをしていても区切のつくという事がすくなかった。【「今何時だ」などと聞く事は絶対になかった。】女の方から「飯だ」といえば「そうか」と言って食い、日が暮れれば「暗うなった」という程度である。ただ朝だけは滅法に早い。

ところが文字を知っている者はよく時計を見る。「今何時か」ときく。昼になれば台所へも声をかけて見る。すでに二十四時間を意識し、それにのって生活をし、どこかに時間にしばられた生活がはじめっている。

つぎに文字を解する者はいつも広い世間と自分の村を対比して物を見ようとしている。と同時に外から得た知識を村に入れようとするとき皆深い責任感を持っている。それがもたらす効果のまえに悪い影響について考える。〉(岩波文庫、270-1頁)
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▼この「人間と文字と時間」をめぐる指摘を、ぼくは病院の待合室で読んだことをはっきり憶えている。極めて興味深かったからだが、早川氏の「嫁入り道具の春画は恥ずかしい」と思い始めた世代の挿話を読んで、はたと思い出したわけだ。

宮本常一の指摘には続きがある。


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〈文字を持つ事によって、光栄ある村たらしめるために父祖から伝えられ、また自分たちの体験を通して得た知識の外に、文字を通して、自分たちの外側にある世界を理解しそれをできるだけ素直な形で村の中へうけ入れようとする、あたらしいタイプの伝承者が誕生していった。

が、【明治二十年前に生れた人々には、まだ古い伝承に新しい解釈を加えようとする意欲はそれほどつよくはなく、伝承は伝承、実践は実践と区別されるものがあった。

それが明治二十年以後に生れた人々になると、古い伝承に自分の解釈が加わって来はじめる。そして現実に考えて不合理だと思われるものの否定がおこって来る。】〉(281-2頁)
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▼ニッポンに「小学校令」が公布されるのは、明治19年=1886年である。当時の文部大臣は森有礼。はたして、宮本常一が目の当たりにした「明治20年前に生まれた人々」「明治20年以後に生まれた人々」の違いは、小学校教育を受けたかどうか、と関係するのだろうか。ちなみに明治20年=1887年に生まれた人が7歳の時に日清戦争が起こっている。

▼近代以降の人間は、近代以前の人間が生きていた時間、空間、価値観を体験することはない。昔の人間の「意識」は、今の人間の「意識」とまるで違うはずだが、どう違っていたかすら、すでにわからないし、永遠にわからない。宮本常一は、その膨大な仕事群の端々(はしばし)に、ぼくたちの「意識の変遷」の機微(きび)を刻みつけている。竹中労の「うた」をめぐるルポの数々も、同じ問題を強く照らしている。

「嫁入り道具の春画は恥ずかしい」という意識に囚(とら)われ、そんなもの捨てるのが当たり前じゃんと思って疑わない現代人が、江戸時代の生活感情に戻ることは決してない。この「意識の変容」は、「文字教育の普及」や「時間の概念」の浸透と、どう関係しているのだろうか。

春画の扱いひとつから、「『意識』を意識する」という遠大なテーマが浮かび上がる。たぶん、すでにしっかり研究した人がいると思うが、どうなんだろう。

もしかしたら、春画の扱いの変遷は、「公序良俗」の浸透、つまり「エロ本やピンク映画には守るべき価値などない」という見下げ果てた「良識」や「表現の自由」観を持つ輩の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)と、深く関係しているのかもしれない。

春画を観ると、人は自分の「『意識』を意識する」ことができる。


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竹山綴労


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