【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2015年10月25日日曜日

春画展余聞(よもん)、あるいは公序良俗と自由 その4

【メディア草紙】1989 2015年10月25日(日)

■春画展余聞(よもん)、あるいは公序良俗と自由 その4■


▼三省堂書店神保町本店1階でも、『大英博物館 春画』が閲覧できるようになってるみたいですヨ。

今号は、

・まず「春画」の定義
・警視庁の「気分」をめぐる補足メモ

・次に「色恋」という言葉について
・享保の改革、寛政の改革の意味

という流れです。


▼「春画」を平凡社の世界大百科事典で調べると、こう定義されている。


――――――――――
男女の秘戯を描いた絵。古くは〈おそくず(偃息図)の絵〉〈おこえ(痴絵、烏滸絵)〉といい、〈枕絵〉〈枕草紙〉〈勝絵(かちえ)〉〈会本(えほん)〉〈艶本(えんぽん)〉〈秘画〉〈秘戯画〉〈ワじるし(印)〉〈笑い絵〉などともいう。あらかさまな秘戯の図ではなく、入浴の場面など女性の裸体を見せる好色的な絵は、別に〈あぶな絵〉と称して区別している。

《古今著聞集》にも〈ふるき上手どもの書きて候おそくづの絵〉と記すように、落書のようなものではなしに専門の画家による春画の歴史はかなり古く、中世に入れば《小柴垣草紙(こしばがきぞうし)》(13世紀)、《稚児草紙》(14世紀、鎌倉末期)など絵巻物の傑作を生んでいる。

合戦に出陣する武士の魔除けとして、嫁入りの女性の性教育用として、あるいは純然たる楽しみのために、各時代、各派の画家の手がけるところであったが、江戸時代に入ると浮世絵師がもっとも熱心にこれの作画に当たった。(中略)18世紀に入って享保改革以後、春画の版行は非合法となり、かえって彫りや摺りの入念な豪華版が作られるようになった。(小林忠)
――――――――――


▼偃息図の絵、おこえ(痴絵、烏滸絵)、枕絵、枕草紙、勝絵(かちえ)、会本(えほん)、〈艶本(えんぽん)、秘画、秘戯画、ワじるし(印)、笑い絵。名前多すぎ。春画にはさまざまな異名があり、そもそも春画という言い方のほうが新しいんだね。

▼21世紀のニッポンにおいて春画を取り締まる基準は、前号までで検証したように、警視庁保安課の「気分」だ。つまり、なんの基準もない。彼らの「取り締まる気分」に対する分け入り方、研究方法は、人によって千差万別なので、いろんなメディアに取り組んでほしいところだ。やんないだろうけど。

▼ぼくは春画をめぐる警視庁保安課の「気分」が、「資本主義」とどう折り合いをつけるかに興味がある。以下は産経新聞デジタル版の10月18日付の記事。

〈春画に対する評価というのは時代とともに変わってきた。浮世絵全盛期の江戸時代には「風紀を乱す」として幕府の規制を受けた。以後、研究目的でも修正が必要とされるなど自主規制が続いてきたが、平成3年に学習研究社が無修正の画集を刊行して以降、事実上の“解禁”となった経緯がある。〉

この「平成3年」の学研の出版を実現した人物が、前号から紹介している白倉敬彦(しらくらよしひこ)氏だ。春画研究の突破口を開いた大功労者である。

で、平成3年=1991年以降、春画の出版はなんとなく浸透してきたわけだ。もともと「自主規制」だったしね。数年前、神保町の小宮山書店が週末にやってるガレージセールの3冊500円の棚で、たくさん春画の画集を買ったことがあるが、どこにも「18禁」と書いていなかった。これも白倉氏たちの仕事の恩恵だ。

▼浮世絵と同じで、春画もまた、海の外でまず評価され、そのあとに、この島国でも価値に気づく、という大きな流れだった。春画はようやく美術品としての売買も定着してきており、そのやりとりは国境を越えているのであって、警視庁はその資本主義の流れにまで手を突っ込み、棹差(さおさ)すだろうか。そんな度胸はないだろうナ。「気分」も乗らないしナ。

とはいえ、今回の永青文庫の春画展のカタログには〈18歳未満の方の目に触れませんよう、本書のお取扱いには十分ご配慮をお願い致します。〉と印刷された紙が挟まれていた。

永青文庫は、春画の出版は四半世紀も前にすでに解禁されているにも関わらず、今回は警視庁に配慮せざるをえなかったのだろう。なにしろ日本初の春画展だから、無理もない。「春画展を開く」という道をつくることが最優先だからね。警視庁に相談した時点で、警視庁からの相応の働きかけもあった。こうしたちぐはぐな現象から、春画はモロにグレーゾーンであることがわかって面白い。

すでに社会のすみずみまで、ゾーニングはだいたいできてるんだから、もういいんじゃないかなあ。わざわざ金を払って手に入れて見るんだからさ。そんなことより、児童虐待、児童ポルノ、JKビジネス対策等々に必死になって取り組んでいただきたい、マジで。「もし自分の子どもだったら」と思って。

書くのもバカバカしいが、物理的な「加害者」がいるんだよ、JKビジネスや着エロや児童虐待には。気分と脳内でコロコロ変わる無責任な「わいせつ」ワールドと違ってさ。前号の繰り返しになっちゃうが、若い女性、子どもに対する性暴力、搾取――それらの根っこにある貧困――を無くすための努力は、なぜ増えないのか。「社会問題」になっていないからだ。そういう問題は複数ある。これは「ニーズとニュース」というテーマで稿を改めて書く。

▼白倉敬彦氏の『春画の色恋 江戸のむつごと「四十八手」の世界』(講談社学術文庫)から、春画展の参考になる箇所を紹介しておきたい。

まず「はじめに」から、「色恋」という言葉について。色恋という言葉が示す世界は、言うまでもなく「性交」だけではない。実際に、春本、春画のなかには性交が描かれていない作品があり、そうした作品群を支えた生活感情を、白倉氏は「色恋」と定義したうえで、『春画の色恋』で的確に読み解いていくのである。


――――――――――
〈江戸時代のいい方でいえば、「江戸の性愛」とは、「江戸の色恋」といい換えた方がよいだろうと思う。いずれにせよ、性愛とは違って色も恋も情交を含んだ意味合いをもっていて、性と愛のように二分するわけにはいかないのだ。だから、色のうちにも恋があるように、恋にも当然色が伴うのだ。

いかにも色だけが目的のように見える売色の世界、とくに廓遊びの世界でさえも、人々が求めるものが恋=擬似恋愛と呼ばれたのも、当時の人々が色と恋とを分け隔てしていなかった所以である。第一、色を悪とは認識していない江戸人には、色と恋とを分離して考える必要もなかったろうし、そんなことを発想することもなかったのだ。

このことは、善悪の問題でもなんでもなく、江戸人はそのように考え、そのようにふるまっていたという事実を示しているにすぎまい。そして、それをどう見、どう評価するかは、現代に生きる我々の問題であることはもちろんだが、本書ではその問題意識をなるべく押さえ込んで、彼らの思考と行動、その表現の多彩な現れを追ってみようと思う。〉(3頁)
――――――――――


▼この冒頭で白倉氏は、近代以降の「性」と「愛」との二分法に拘(こだわ)っていては、江戸以前の春画文化に理会(りかい)できない、ということを確かめているわけだ。ふとNHKの「サラリーマンNEO」に出ていた「セクスィー部長」を思い出した。彼の名前は色香恋次郎(いろか・こいじろう)。つくづく傑作のネーミングだったナ。

▼先日、神保町の神田古本まつりが始まり、ちょっくら寄ってきた。ボヘミアンギルドの棚だったか、新品同様の網野善彦『日本中世の百姓と職能民』(平凡社)が500円で売っていたので、ついつい買ってしまい、上島珈琲店で頁をめくっていると、順徳天皇の「禁秘抄」(1221年に成立)に、〈「諸芸能事」として、第一に学問、第二に管弦、そして和歌をあげ、「好色の道、幽玄の儀、棄て置くべからざることか」〉という記述があるそうだ。

〈この書全体が、天皇の「職」に即した「芸能」「道」を説いているということもできる。そこに「好色の道」があげられているのは、興味深く、注目すべきであるが、貴族・官人の日記はこのようなそれぞれの家の「芸能」を子孫に伝えるものとして重視されたのである。(中略)「芸能」「道」「才」「職」が、前述したように、天皇・貴族・官人から多様な職能民にいたるまでのあり方を示すキー・ワードになったのは、このような職能の世襲・請負が広く社会をとらえ、国家の制度にまでなっていったからにほかならない〉(235―236頁)

面白いデス。順徳天皇が記した「好色の道」と、春画が示す「色恋」の世界と、双方の底流、そして数百年の間に無数に繰り返された弾圧・管理の歴史を探ると、とても興味深いニッポンの文化思想史、風俗思想史が見えてくる。その歴史のなかで、最も見えやすい弾圧の一つが、享保の改革だ。


――――――――――
〈あえて単純化していえば、日本での性意識は「色好み」の系譜であり、色恋の文化である。だからといって日本の文化を色恋で一貫していると主張するつもりはない。というのも、享保の改革ののちに出た多くの色道指南書は、ほとんど色に集中していて、恋を語ってはいない。たぶんそこに何らかの変質があったのであろうと考えられる。〉(『江戸の色恋』5頁)
――――――――――


▼享保の改革の前後で、春画の世界はどう変質したのだろう。白倉氏の指摘を読むと、現代との驚くべき共通項が見えてくる。適宜【】


――――――――――
〈禁令とか取締りとか、全ての規制は、いまだ潜在的であったものを顕在化せしめるのだ。禁じられたものが地下に潜れば、その部分は当然尖鋭化するであろう。色道指南書というのは、そうした流れの上での所産である。(中略)

その一つの具体的な例を挙げておこう。それは、組物にしろ、艶本(えほん)(絵本)にしろ、それを構成する図柄群において、非交合図と交合図との割合比率が変っていることである。

【享保の改革以前は、ほとんどの作品に刊記(奥付)がついていて、画師名、年号、版元名が列記されていたし、それを規制するものは何もなかった。にもかかわらず、非交合図の割合が高く、改革以後はそれが減少する。規制が生じることによって逆に交合図=色が増加するのである。】〉(6頁)
――――――――――


▼交合図とは、性交の場面だ。享保の改革によって、かえって性交しない場面が減って、性交の場面が増えた。しかし、享保の改革では、まだ「色」と「恋」との分離はそれほど進まなかった。


――――――――――
〈菱川師宣の時代が、春画にとって最も健康な時代であったろうと思われる。一つの転機は、享保七年(一七二二)の享保の改革にあった。好色本の禁止という事実は、逆にその好色なるものへの人々の意識を尖鋭化させた。

【いわば禁止というのは、その禁止した対象を内面化させるということであり、それがひとたび方途を示せば、たとえそれが徐々にではあっても知らず知らずの内にでも深化する。春画にとっては、享保の改革がその第一歩であった。】

たぶんそれは、色と恋との分離の第一歩でさえあったろう。しかし、江戸の春画にとって幸いなことに、この時期から京の西川祐信の影響が江戸に浸透して来、菱川の流れを西川に一変せしめたことが、その分離作用を薄めた。それは、「色好み」の本場からきた優美な遊びの感覚である。色恋はいわずとしても、色遊びの感覚は、それを補充するに充分であった。〉(349頁)
――――――――――


▼この西川の影響を受けた画師(えし)に、今回の春画展で強烈な印象を残す画師の一人、月岡雪鼎(せってい)がいる。鳥居清長の傑作「袖の巻」も、あの大胆なトリミングに影響を与えたのは雪鼎の先行作だったそうだ。

享保の改革の他に、もうひとつ大きな禁圧があった。寛政の改革である。続きを読んでみよう。


――――――――――
〈おまけに、祐信の影響をまともに受けた鈴木春信が、木版多色摺り、すなわち吾妻錦絵を創始することによって、江戸の浮世絵界を席捲したのだ。そして、この春信の影響が残るかぎり、色恋の世界はまだまだ生き延びえたといえよう。

そして生き延びえた色恋の世界が大きく変化するのは、一八〇〇年以降、すなわちその契機になったのはまたしても寛政の改革(寛政二年〈一七九〇〉)であった。(中略)

風俗のためにはよくないから「猥(みだり)かはしき事等勿論(もちろん)無用ニ候」(九月の御触)というのである。趣旨は享保の改革をそのまま受け継いだものだが、この「猥がはしき」が付け加わったことが大きい。

これは、色恋を猥がはしと見たのか、色事を猥がはしと見たのか、あるいは、色恋を描くことを猥がはしと見たのか、じつは判然としないのだが、その後の動きを見ると、色恋を描くことがやり玉に挙げられたようだ。色事を描いた春画のみならず、美人画に遊女や芸者の名を出すことさえも禁じたのだから、それに対するに春画は、よりいっそう色事に集中することになる。春画から恋も遊びも消えて行くのは、ごく当然の仕儀ではあった。〉(349-350頁)
――――――――――


▼お触書(ふれがき)――法律、条例の文言ひとつで、社会が変質する。現代との共通項を、春画の歴史から見出すことができる。


――――――――――
〈都市化、近代化、そして内面化は、禁止によって育まれて行く、といってもよかろう。なかでも性愛についての意識は、そのようである。江戸文化の変質、とくに性愛に関する部分は、別に春画に限らず、遊郭でも、そこを基にした文学でも、寛政の改革によって大きな変化をこうむったことだけは確かである。

【それだけに逆に、現代の我々から見ると、それ以降の文化の方がわかりやすくなったのも事実である。あるいは、それゆえに私にとってはあまり興味が湧かないともいえる。】

私は、私と似たものを見出して自分を確認するといった興味はほとんど持たない。何かしら自分と違ったもの、よくわからないものの方に好奇心が湧くし、それをいくらかでもわかろうとすることが楽しいのだ。私にとっての春画とはそういうものだ。〉(350頁)
――――――――――


▼現代の春画をめぐる状況に及んでこのあとがきは終わるが、末尾近くに、【「そうか、色恋とはいのちを恋(こ)うことか」とわかってしまえば、性愛ではなく色恋にこだわる私の立場もいくぶんかはわかってもらえるだろうか】という、とりわけ印象的な一文がある。

色恋とは「いのちを恋う」こと。この一言が白倉氏の真骨頂だ。「いのちを恋う」視点から春画展を眺めれば、これまでとは少し違った光景が目の前に現出するだろう。


▼今号の最後に、彼が2002年に訪れたフィンランドでの光景描写を引用しておく。二つめと三つめの【】は本文傍点


――――――――――
〈私は二〇〇二年十一月、フィンランドのヘルシンキ市美術館で開催された「春画展」に招待されて行ってきた(この展覧会は早川聞多氏と私とがキュレーターとして参画した)。

北欧では一九六〇年代の末にポルノグラフィが解禁されている。その結果、北欧ではその後三年ほどでポルノの産業が滅んでしまったことはご存じの通りだ。

そのような地での「春画展」、その反応に心が魅(ひ)かれた。会場には、子ども連れの夫婦や教師に引率された高校生の一群も訪れた。

【彼らの態度には、覗(のぞ)き見の姿勢がない。】禁止がない以上当然の結果であった。偏見なしに直視する、というのは、ある意味あっけらかんとした雰囲気で、あたかも江戸時代にでも帰ったかのような錯覚を生んだ。それは一言でいってしまえば、【いのち】の愛しさ、とでもいったものに通じる。私には、それを確認できただけで十二分に満足だったし、嬉しい体験であった。

私は、常日頃口にすることだが、ポルノに反対するのであればポルノを解禁しなさい、そうしたらポルノはなくなりますよ、という主張が、かの地では実現しているわけで、その風通しの良さを満喫した。

要するに、性愛と色恋の違いもそのあたりにあるのであって、そこにタブーが存在するかどうかの違い【だけ】なのだ。性は人間の日常の営みである。そろそろ性を特別視する観念から自由になってもよかろうではないか。春画を娯(たの)しむのも、そのことの一助になれば、とひそかに願っている。〉(352-3頁)
――――――――――


▼永青文庫の「春画展」に向かう人々のなかには、白倉氏が描いたような「あっけらかん」とした心性の持ち主が多いのかもしれない。国家の定める「わいせつ」を軽くスルーする知恵をもち、その「わいせつ」気分に右往左往するマスメディアの言説には価値を見出さず、大切な人とともに、あるいは独りで、手の届く範囲の文化を愛(め)でる人々。

それは「非社会的」な心性でもあるかもしれないが、いっぽうで生活感情と結びつく可能性も濃い。

「わいせつ」経由の「色」狂い役人の眼には、「春画展」に集まる人々の眼に映っている「色恋」の豊かな世界は、色褪せた、価値なき代物として映っているのだろうか。それとも彼らはいっぽうで他人の価値観をコントロールしようとしながら、もういっぽうで秘かに己(おの)が色恋を満喫しているのだろうか。

現代風俗にも、遥か古(いにしえ)の春画にも、「色恋」の驚くべき多様性が詰まっている。双方に挟まれて、近代国民国家の「わいせつ」ワールドはいよいよ萎(しな)びて貧しい。

▼次号では、アンドリュー・ガーストル氏の本を通して、「もじり」「やつし」を駆使した性にまつわる風刺文芸が、そのまま、不自然な秩序への見事な叛旗(はんき)となった実例を少しだけ見るつもり。取り上げるテキストは、永青文庫の「春画展」で11月1日まで展示されている「女大楽宝開(おんなだいらくたからべき)」である。(つづく)


▼本誌の登録は、

メルマ
http://melma.com/backnumber_163088/

まぐまぐ
http://search.mag2.com/MagSearch.do?keyword=publicity

▼ブログは、
http://offnote21.blogspot.jp/

frespeech21@yahoo.co.jp
竹山綴労


(読者登録数)
・Eマガジン 4658部
・まぐまぐ 124部
・メルマ! 87部
・AMDS 20部