【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
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2015年9月22日火曜日

経団連「死の商人」化計画 その3


【メディア草紙 1977】2015年9月22日(火)
■経団連「死の商人」化計画 その3■


▼1987年9月8日付朝日。
〈経団連、米国防総省元高官を招く 武器技術について話し合い〉

▼1990年12月3日付朝日には、軍需企業と防衛庁(現在の防衛省)との日常的な関係が描かれた〈あうんの呼吸 防衛庁の意向先取りし自主研究(軍需産業:10)〉という記事があった。(小倉一彦記者)


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〈防衛産業にとって政界以上に大切なのが、防衛庁との日常的なつき合いだ。夜になると、若いOLやサラリーマン、カップルでにぎわう東京・六本木。その一角に防衛庁がある。

午前9時過ぎ、出勤する防衛庁職員らに交じって、メーカーや商社などの防衛部門の営業マンがやってくる。薄いバッグをこわきに抱えたり、企業名のついた紙袋に書類を入れたり、格好はさまざまだ。正門左わきの受付で面会票に記入すると、装備局のある本館や、「幕(ばく)」と呼ばれる陸上、海上、航空の幕僚監部の入った建物に向かう。本館6階、午前9時過ぎだと職員の数はまだ少ない。若い営業マンが、数冊の封筒を抱えて廊下に立っている。知り合いの担当者がまだ来ていないのだ。

○実務者相手、サイン読む

営業マンの話し相手は、主として課長以下の実務者クラス。雑談に終わることも多いが、何げない話題の中に防衛庁の将来の構想をほのめかされることがある。たとえば「飛行訓練のシミュレーション装置はできないかなぁ」と打診とも質問ともとれるいいまわしでサインを送ってくる。時には、六本木や各地の部隊、研究所などでのひと言が、大きな研究、ビジネスの端緒になる。企業側が防衛庁の意向をくみ、新しい装備について提案もする。

こうしたやりとりを経験者は「あうんの呼吸」と表現する。ある営業マンは「多い時は週3、4回以上足を運ぶ。知り合いの職員が転勤したら、異動先を訪ね、回り先を広げていく」といった。(中略)

防衛庁が民間の協力を求めるやり方の1つに、民間企業の技術者を防衛庁に派遣させる「労務借り上げ(労借=ろうがり)」という方法がある。この派遣者を通じて、防衛庁は民間企業が社費をかけて研究した成果を吸い上げる。川重(=川崎重工業)によるとこの時(=中等練習機T4の開発)は、76年度から川重、富士重が労借に応じた。この段階になると、各社とも派遣社員らをバックアップするため、社内的にも十分な研究体制を組む。これに対して防衛庁から支払われるのは基本的には派遣社員の「日当」だけだ。(中略)

防衛庁と防衛産業は人の面でもしっかりと結びついている。88年度に退職した1佐以上の自衛官500人のうち、1割強の57人が、情報収集や営業上のアドバイザーとして、その年度の防衛庁の契約高上位20社に就職している。

だが、その密着関係にも、冷戦終結の影響が忍び寄ってきた。(後略)〉
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▼アメリカがSDI(戦略防衛構想)からTMD(戦域ミサイル防衛)に舵を切ったのは今から22年前、1993年だった。この年、北朝鮮がノドン1号の試射実験をおこなった。


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1995年6月16日付朝日
〈「対米武器輸出の解禁を」防衛産業、三原則見直し要望〉
〈防衛関連メーカー131社でつくる日本防衛装備工業会(会長・北岡隆三菱電機社長)と経団連は、1996年度の国の予算編成にあわせ、海外への武器輸出を禁じている「武器輸出三原則」の見直しを政府に求めていく方針を決めた。国の防衛予算が伸び悩み、調達額が減っていることから、「いまのままでは防衛産業を維持するには限界がある」というのが理由。(中略)

5月、経団連は防衛生産委員会を中心に「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」と題した提言をまとめ、米国向け輸出の解禁を要望。日本防衛装備工業会も、5月に同様の要求をまとめた。すでに自民党、新進党などの政党や、政府機関にこうした意向を伝えており、予算編成に向けて働きかけを強める方針だ。〉
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▼この翌日付には〈五十嵐官房長官は「応じない」 海外への武器輸出三原則見直し〉という記事。

▼翌7月12日付朝日大阪〈思惑はらむTMD(核廃絶への道 第3部:7)〉には、TMD(戦域ミサイル防衛)が「救いの神」だという当時の業界の声が載っている。


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〈94年6月、経済団体連合会は、TMD計画を担当する米国防総省の職員と、東京で非公式の会議を開いた。同8月、首相の私的諮問機関「防衛問題懇談会」(座長・樋口広太郎アサヒビール会長)が首相に報告書を答申。TMDについて「積極的に取り組むべきだ」という提言を盛り込んだ。(中略)

95年3月、政府は95年度予算で、TMDの調査・研究費として2000万円の計上を決めた。(中略)

北朝鮮の試射実験以後、事実上、TMDの導入を前提としたような動きが産業界を中心に加速してきたことが見てとれる。

この背景には、米国と同じように、TMDを冷戦後の最後の商機ととらえる日本の防衛産業界の見方がある。TMDが導入されれば、日本で投入される予算は二兆円を超すともいう。頭打ちの防衛予算の中にあって、この大規模予算は「救いの神でもあり、一歩間違えれば迷惑な存在」(防衛産業関係者)だ。業界では米国のいう「共同開発」に疑問の声が強く、「米が日本企業に求めているのは安くつく汎用技術だけで、結局は完成品を高額で売り込むつもりではないか」という危機感があるからだ。>
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▼こうやって過去の記事をさかのぼると、ニッポンの軍需産業にとってTMDが格好の商機になったことがわかる。


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<1983年に「対米協力については武器輸出禁止の三原則の例外とする」との政府決定に基づいて始まった日米の防衛技術交流は、94年には「双方向の交流」両国政府が確認するまでになっている。(中略)

経団連の防衛生産委員会は今年(=1995年)5月、政府への要望書のなかで「米国との間で共同研究開発・生産をできる環境を整備すべきだ」と提起した。日本企業の武器輸出が禁じられている現状を打破する動きとして、注目を集めた。(中略)

防衛生産委員会の池誠事務局長は、「要望書はTMDに直接関連しない」とする一方で、「国内企業から輸出の要請があったわけではない。むしろ、米国側の期待をくんだものだ」と語る。仕上がりの精度の高さに示される日本の生産技術は、それだけでは供与できない。軍事転用が可能な両用技術の電子部品、機器は米国も日本から輸入したほうが安上がり。米国への輸出解禁は、両国の利益になる、との立場だ。>
(1995年10月28日付朝日。見出しは<ポスト冷戦、問われる日米安保 新しい枠組みの構築は 再定義の論点>)
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▼1996年には、衆院選で、小選挙区比例代表並立制が導入される。ここから国会の「調整の政治」(よくもわるくも日本的な)の劣化が始まっていくわけだ。

▼1997年7月28日付朝日では、イスラエルのエイラットという保養地でおこなわれた、アメリカ国防総省弾道ミサイル防衛局主催の「TMD会議」の様子が紹介されている。


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〈冷戦末期から毎年開かれてきた会議は、今年(=1997年)で10回目を数えるが、テロ対策を理由に会議自体が秘密にされ、その存在はほとんど知られていない。(中略)

今年のテーマは「協力の10年の成果と展望」。イスラエルのアローミサイルの実験ビデオが大型スクリーンに映し出され、ロッキード社なども宣伝ブースを設けた。部外者は立ち入り禁止。参加者も、録音やメモは禁止された。

参加者は、200人を超える米国を筆頭に、英、仏、独、イスラエルなど。数年前から旧東側諸国なども加わり、今年はロシアのほか、チェコやハンガリーなどが招かれた。日本政府からは外務省と防衛庁、自衛隊の幹部、産業界では、三菱重工業、川崎重工業、三菱電機、日立製作所、東芝、富士通、住友商事、三菱商事など20社近くが参加した。(中略)

○武器輸出三原則、宇宙の平和利用「束縛」見直しへ日本企業も同調

「日米の貴重な防衛予算を無駄にしないため、産業間の協力は不可欠です。そのためには、いつの日か、日本の(防衛)政策変更が必要となるでしょう」

今年(=1997年)6月、来日したアーミテージ元米国国防次官補は、経団連の防衛生産委員会のメンバーの前で熱弁をふるった。元次官補は、防衛予算削減に直面している日本の産業界に、防衛装備を共同開発する際の束縛となる「武器輸出三原則」の見直しを暗に迫ったのだった。

武器輸出三原則は1967年、当時の佐藤栄作首相が共産圏や紛争当事国に武器の輸出を禁じた国会答弁。その後、海外への輸出そのものを規制した。防衛業界にとっては、大量生産によるコストダウンができず、日本の装備が海外に比べて割高になる原因にもなっている。そうした制約を知りながら、米国防総省は日本の産業界にTMDの協力を期待している。(中略)

今年(=1997年)1月、ワシントンで「日米安全保障産業フォーラム」の初会合が開かれた。民間の立場から日米の防衛装備・技術協力を率直に話し合おうという趣旨で、日本からは三菱重工業、東芝など主に経団連の防衛生産委員会のメンバー15社が参加、ボーイング、マクドネル・ダグラス、レイセオンなど米防衛産業界のトップと2日間意見を交わした。

「予想以上の歓迎だった。のみ込まれるかもしれないと心配になったほどだ」と日本のある参加者。10月には東京で2回目の会合が開かれる。アーミテージ氏や米防衛産業の熱い期待に、日本の防衛産業界も、戸惑いながら歩調を合わせようとしている。〉
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▼記事そのものもアメリカの熱に押された客観報道ですナ。しかしアーミテージ氏、もうずーっとニッポンに睨みをきかしてるんだね。

ちょうどきょう(9月22日)の東京新聞が、2012年の「アーミテージ・ナイ・レポート」を1面で取り上げていた。見出しは〈米要望通り法制化 独自判断できるか〉。国会では山本太郎議員が言及していたが、一般紙が取り上げるのはとても珍しいことではなかろうか。喧嘩過ぎての棒千切りだけど。


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〈「この夏までに成就させる」。安倍晋三首相は五カ月前の訪米中、米議会での演説で安保法成立を約束した。まだ法案を閣議決定する前で、国民も国会も内容を知らない段階だった。

だが、集団的自衛権の行使容認を含む安保法の内容は五カ月前どころか三年前に予想できた。米国の超党派の日本専門家が二〇一二年にまとめた「アーミテージ・ナイ報告書」だ。

アーミテージ元国務副長官、ナイ元国防次官補らが共同執筆し、日本に安保法の制定を求めていた。両氏は、一般に「知日派」と訳される「ジャパン・ハンドラー」の代表格。報告書の影響力からすれば、文字通り「日本を操っている」ようにも映る。

報告書は日本に米国との同盟強化を迫り、日本が集団的自衛権を行使できないことを「日米同盟の障害となっている」と断じた。

自衛隊の活動範囲の拡大や中東・ホルムズ海峡での機雷掃海も求め、南シナ海での警戒監視活動の実施も要求。国連平和維持活動(PKO)でも、離れた場所で襲撃された他国部隊などを武器を使って助ける「駆け付け警護」の任務追加の必要性を強調した。かなり具体的な内容だ。

これらの方向性は、ほぼ安保法に網羅され、首相は集団的自衛権行使の事例として、ホルムズ海峡での機雷掃海にこだわり続けた。防衛省は安保法の成立前から、南スーダンでPKOを続ける自衛隊に駆け付け警護の任務を追加することや、南シナ海での警戒監視活動の検討を始めた。

報告書では、情報保全の向上や武器輸出三原則の見直し、原発の再稼働にも言及。特定秘密保護法の制定、武器輸出の原則解禁、原発再稼働方針に重なる。安倍政権は一二年の発足以降、これらすべての政策を手がけてきた。〉
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▼なんだか出し物が全部終わった後の種明かしみたいな記事だ。

ニッポンが戦争に負けて、マッカーサーが天皇制を守って以来、ニッポン人にとってアメリカは、無意識の裡(うち)に「国体」の一部と化している可能性がある。そうだとすれば、ニッポンの軍事に関する、こうしたアメリカからの介入について、マスメディアはもちろん、たとえば尖鋭的な東京新聞ですら、知らず知らずの裡(うち)に後出しジャンケン的な、「触らぬ神に祟りなし」な対応になる現象にも、頷(うなず)けるものがある。

はたして有無を言わせぬ圧力なのか、官邸や外務省による過剰すぎる忖度(そんたく)なのか、なんにしても、彼の国と我が国とに関係がないはずがない。しかし、そういう情況であっても、なにかしら知恵を絞り出せるはずだがね。簡単には思いつかんけど。

長いのでつづく。


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竹山綴労


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