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2015年9月23日水曜日

経団連「死の商人」化計画 その4終


【メディア草紙】1978 2015年9月23日(水)
■経団連「死の商人」化計画 その4終■


▼さて、1998年8月24日付朝日には〈生き残り探る防衛産業 財政難で受注に陰り(自衛隊)〉という記事がある。


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〈特に、大砲や機関砲などの火砲類の受注数量は減り方が著しい。ピーク時の4分の1に落ち込んでおり、砲製造業は一昨年、「不況業種」として保護の対象になる、労働省の特定雇用調整業種に指定された。こうした状況を背景に、業界側は紛争国やその恐れのある地域への武器輸出を禁ずる武器輸出三原則の見直しを求め始めた。武器輸出三原則は、日米間に限って武器技術の移転を認めているものの、装備品そのものの輸出は認めていない。これに対し、日米の防衛産業でつくる「日米安全保障産業フォーラム」は昨年末、日米で共同開発した装備品については米国への輸出を認めるよう両政府に低減した。〉
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▼この記事の末尾についていた、三菱重工業・相川賢太郎会長の、武器輸出三原則についてのコメントが興味深い。

「装備品が輸出できないのは確かに苦しい。もしうちの発電プラントが輸出禁止になったら、会社は倒れます。輸出できれば安くなるのはわかっているが、武器を輸出させてくれと言うようなことは、慎まないといけない。憲法にもとるし、自分の利害とくっつけて議論する問題ではない。ただし、米国は別だ。日本と同盟関係にある限り、米国に輸出してはいけないというのはおかしな話ではないか。輸出した方が日本の安全にも役立つので、そのくらいは融通をきかせてもいいのではないか」

つまり1998年段階ですら、三菱重工業の会長が【武器を輸出させてくれと言うようなことは、慎まないといけない。憲法にもとるし、自分の利害とくっつけて議論する問題ではない】と言っているわけだ。なんだ、2015年の、この変わりようは。

▼たぶんあんまり関係ないと思うのだが、つい年齢が気になってしまう。この相川氏は1927年、昭和2年生まれ。日本の敗戦時は18歳だった。

前号で紹介した土光敏夫氏は1896年、明治29年生まれ。敗戦時は49歳。

経団連会長として小泉政権時代、政治献金を復活させ、死の商人化や改憲など、政治への介入を猛烈に進めた奥田碩氏は1932年、昭和7年生まれ。敗戦時は13歳。いまの経団連会長である榊原定征氏は1943年生まれ。敗戦時は2歳。

▼さて、21世紀に入り奥田経団連は一気呵成に死の商人化へ歩を速める。怒涛の展開を見せたのは今から11年前、2004年である。

▼2004年2月5日付朝日〈武器輸出三原則、経団連「再考を」自民党五役に/日本経団連首脳と自民党五役の懇談会が4日、開かれ、経団連側は武器輸出を禁じている武器輸出三原則の見直しの検討を要望した。(中略)(経団連は)「防衛産業の技術・生産基盤自体が失われかねない」と危機感を募らせている。〉

▼翌月の30日付〈武器輸出「個別審査で」自民部会、三原則見直しで提言/三原則については、石破防衛庁長官が(2004年の)1月、武器の共同開発や輸出対象を米国以外に広げることについて「政府として検討することが必要だ」と発言。日本経団連首脳も2月、自民党5役に見直しを要望していた。〉

▼同年7月21日付〈経団連「武器禁輸再考を」防衛予算減に危機感/平和憲法のもとで、武器の輸出を禁じる原則を持つことで、日本への信頼が高まり、産業界も恩恵を受けてきたはずだ。その点を経団連はどう考えるのか。確かに、武器輸出が認められれば、経営は安定して、業界は潤うかもしれない。しかし、防衛予算が先細りすることは分かっていたはずだ。個別企業・産業の立場を超えて、日本経済全体の利益を考えるのが経団連の本来の機能ならば、防衛部門に代わる事業の柱を育てるよう産業界に促すことが、経団連の役割ではないか。(中川隆生記者)〉

▼翌月21日付〈武器の日米共同生産検討 政府、輸出三原則見直し 政府内慎重論も/武器輸出三原則の見直し問題で、政府が日米両国による武器の共同開発と共同生産を認める方向で検討していることが明らかになった。〉

▼同年12月11日付〈国防族・財界が牽引 大綱には盛らず 検証・武器輸出三原則緩和/あらゆる武器の輸出禁止から、「個別の案件ごとに検討」へ。戦後日本が「平和国家」の看板にしてきた武器輸出三原則が、小泉内閣の手で塗り替えられることになった。(中略)

出発点は昨年(=2003年)12月。政府がミサイル防衛(MD)の導入を決めた時だった。日米で研究が進む次世代型がやがて開発・生産段階に入れば、日本が担当する部品などの輸出を迫られることになるのは必然だったからだ。それは三原則に触れてしまう。政府・与党内にはMD関連の輸出を認めることに異論はなかった。官房長官談話が示すことになる「MD関連は三原則の例外」との方向は、この段階で固まっていた。新たに加わったのは、その他の武器も便乗させようという動きだ。〉

▼2005年3月17日付〈タブーに踏み込んだ(改憲シフト 日本経団連:上)〉

ここで、防衛産業界の動きが、2015年現在の最大のキーパーソンとつながる。


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〈経済界にとって長らくタブーだった憲法改正問題に、日本経団連が大きく踏み込んだ。国の基本問題検討委員会(委員長=三木繁光・東京三菱銀行会長)が、集団的自衛権行使の明確化などで改憲を求める報告書を1月に発表したからだ。(中略)

経済団体では従来、個人の資格で参加する経済同友会だけが、憲法問題に積極的にかかわってきた。その同友会も真正面から取り組んだのは、戦中派経営者が徐々退き、至上主義に基づく新保守主義に共感する戦後派が主流を占めるようになった90年代半ばからだ。

それでも94年発表の提言「新しい平和国家をめざして」は、改憲の国民的議論が必要、と強調するにとどめた。はっきり改憲を求めたのは03年4月発表の提言だった。

経団連もそれを横目でみていた。奥田氏の前任会長(98年~02年)だった今井敬・新日本製鉄相談役名誉会長は「防衛問題に関心があり、毎年沖縄を訪問してきた。会長3年目ごろに(政府側から)憲法調査会の委員を、という話があったが、経団連事務局に強く反対されて断った。まだ機が熟していなかった」と振り返る。今井体制時代は、バブル崩壊後の長期経済停滞からの脱却が最大のテーマ。不良債権処理や金融システムの再生問題に追われる経済界の「正規軍」が憲法問題にまで口を出す余裕はなかった。その点、奥田体制下では、経済再生の道筋が見え始め、主要企業の収益好転とも重なった。(中略)

昨年(=2004年)2月、経団連は、献金に向けた政策評価を伝えるために自民党首脳との懇談会を開いた。そこで当時の安倍晋三幹事長から、評価対象に外交・安全保障問題を加えてほしいと注文された。これが、憲法問題にかかわるタイミングを計っていた経団連の背中を押した。2カ月後の昨年4月、憲法・安全保障問題の委員会の設置を表明。旗を振ったのは、自称「改憲論者」の奥田氏だった。〉
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▼2009年7月15日付〈日本経団連、武器の禁輸「見直しを」〉

▼2010年2月15日付には〈武器禁輸に外圧内圧/武器輸出三原則 緩和へ動き/防衛産業界 乗り遅れ深刻〉と武器輸出OKじゃん的な見出しが立った。

▼同年7月14日付〈武器輸出見直しを要望 日本経団連〉

▼そして2013年3月2日付〈武器輸出三原則 骨抜き/安倍内閣が1日、武器輸出三原則の大幅緩和に踏み出した。国内で製造した最新鋭ステルス戦闘機F35の部品の輸出を三原則の例外にしたのだ。これまで基本理念としてきた「国際紛争の助長回避」という考え方は消え失せ、三原則の形骸化が加速する。〉

かなり批判的な書きぶりだが、だったらなぜ1年前の〈武器禁輸に外圧内圧〉で、ほとんど価値判断のない解説記事を出したのだろう。一人の人間が書いてるわけじゃないから、まあ、そんなものなのでしょう。

▼2014年6月17日付〈国内13社、武器見本市に 輸出三原則緩和 慎重に商機狙う〉

▼2015年7月26日付〈踏み出した武器輸出 国内で展示会、海自も出展 日本の最新兵器、各国軍人が注目〉

〈横浜市の国際会議場で5月、国内初の本格的な海軍兵器や海上安全システムの国際展示会が開かれた。国際的な軍需大手のブースが並ぶ展示会の入り口には、「JAPAN」と書かれた日本企業の合同展示ブースが設けられ、海上自衛隊も最新鋭潜水艦の模型を展示した。(中略)

展示会の世話役を務めた森本敏元防衛相によると、日本開催の背景には、武器輸出を条件付きで認める防衛装備移転三原則が昨年(=2014年)4月にできたことがある。英米豪など約120の企業や団体が参加し、日本からは20社ほどだった。〉

そして、この記事につながるわけだ。


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〈武器輸出「国家戦略として推進すべき」 経団連が提言
小林豪2015年9月10日19時50分

経団連は10日、武器など防衛装備品の輸出を「国家戦略として推進すべきだ」とする提言を公表した。10月に発足する防衛装備庁に対し、戦闘機などの生産拡大に向けた協力を求めている。〉
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▼防衛産業って、構造的、必然的に国策である。武器の値段はあってなきがごとしで、市場経済はほとんど関係ない。そこに首を突っ込んで、恬(てん)として恥じることのない下衆(げす)天国に、ニッポンの財界人たちは成り果ててしまったか。

「輸出できれば安くなるのはわかっているが、武器を輸出させてくれと言うようなことは、慎まないといけない。憲法にもとるし、自分の利害とくっつけて議論する問題ではない」と三菱重工業の相川賢太郎会長が発言してから、今年で17年が経つ。もしもこの相川氏の発言が見せかけの言葉だったとしても、【そう言わなければならない社会】だったわけだ、このニッポンという社会は。

▼武器輸出3原則をめぐる財界の言説をさかのぼると、21世紀に入ってから、あからさまにニッポン社会が変容してきたことがわかる。

いや、変容したのではなく、先祖返りしたのかもしれない。高岩仁氏の『戦争案内』という本を読むと、【近代日本史における戦争は、最強、最高の商売だった】ことが、つまり【誰が戦争を必要としたのか】がよくわかる。目次は以下のとおり。

第1章 明治維新からアジア太平洋戦争まで(明治維新以来、日本の経済発展を支えた侵略戦争/天皇は世界一の大資本家であり、大地主だった ほか)

第2章 アジア太平洋戦争-この戦争を必要としたのは誰か(日本の民主化をクーデターで押しつぶして、軍事政権を樹立、アジア太平洋戦争へ/マレー半島での中国系住民の大量虐殺について ほか)

第3章 再びアジアを植民地化(フィリピンの戦後/沖縄 ほか)

第4章 殴る側の大国となった日本(一九八五年までの日本経済/一九八五年、プラザ合意以降日本の社会構造は根本的に変わった ほか)

軍需産業こそが近代国民国家を駆動させてきたのだ。この『戦争案内』は、アマゾンだと15000円などというけしからん値段で売っているので、興味のある人は都立中央図書館や国会図書館で読んでみてください。

東京だと都立中央図書館をはじめ19館が所蔵。
https://calil.jp/local/search?csid=tokyo&q=%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%A1%88%E5%86%85+%E6%98%A0%E7%94%BB%E8%A3%BD%E4%BD%9C%E7%8F%BE%E5%A0%B4

沖縄だと読谷村立図書館で読めるそうだ。

また、全国の44の大学図書館で
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA65880468#anc-library

読めるらしい。

「戦後70年」といわれる今年、オススメの本はと問われたら、ぼくは今年復刊した野呂邦暢『失われた兵士たち 戦争文学試論』 (文春学藝ライブラリー)と、この高岩仁『戦争案内』の2冊を挙げる。

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竹山綴労


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