【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2015年9月28日月曜日

「NHK出版新書 特別編集号!」はスゴイ


【メディア草紙】1980 2015年9月28日(月)
■「NHK出版新書 特別編集号!」はスゴイ■


▼神保町の東京堂書店に行くと、楽しみなのが3階のアウトレット棚だ。アウトレットといえば、なんといっても三省堂書店の2階が有名で、とにかく量が多く、充実している。古本みたいだが、古本じゃない。すぐ隣の喫茶店でコーヒーを飲みながら、アウトレットの棚を眺めてニヤニヤするのがぼくのリラックスタイムだ。ほとんどそんな機会はないけど。

取引先が重なっているからなのだろうか(八木書店とか?)、三省堂と東京堂とのアウトレット棚には同じ本がけっこう置いてあるのだが、三省堂のほうがお値段は割高。東京堂のほうが、品揃えが少ないが、少し値段が安い。たとえば河出の『性風俗史年表』全3巻は、先週末の時点で、東京堂の3階は4000円、三省堂の2階は5400円だった。

数年前、ぼくは東京堂書店のアウトレットで初めて文豪・北大路公子先生の『生きていてもいいかしら日記』(毎日新聞社)を買った。たまたま手に取り、たまたま開いた頁に載っていた「乳の立場がない」を読んだ時の衝撃は忘れられない。のちに全著作を買い揃えました。(念の為、北大路先生のエッセイを電車内で読むと大変な目に遭うので要注意)

▼三省堂のいいところは、「文庫新刊ラインアップ」が無料で置いていることだ。(もちろん、他の本屋でも同趣旨のプリントを配布している本屋がありますよ) 10月期の分を眺めていると、『服従』が話題のミシェル・ウエルベックの『地図と領土』がちくま文庫で、『プラットフォーム』が河出文庫で相次いで出ることがわかる。岩波現代文庫からは和田洋一著『新島襄』が出る。

ライトノベルの一覧からは、想像を絶するタイトルを探すのが好きだ。10月期はキルタイムコミュニケーションという会社の二次元ドリーム文庫から、『わたしのおっぱい育ててよ! 幼馴染みとお嬢様の育乳バトル』というタイトルの文庫本が出るらしい。先日は『タヌキが嫁ちゃん。』という背表紙を見て目が点になった。最近の小説のタイトルからは、ニッポン語の奥深さを知ることができる。


▼さて。先日、東京堂書店で思わぬ掘り出し物を見つけた。じつは東京堂だけでなく、他の幾つかの大型書店でも同じものを見つけた。

本屋には、よく無料の小冊子やチラシが置いてある。ほんとはだいたい無料じゃないけど(裏に100円とか200円とか表示してある)、本屋に来た客が手に取る時には、無料になっている、あの不思議なサービスだ。ニッポン独特のシステムなのだろうか。

で、なかには正真正銘「0円」と表記してある小冊子がある。しかも、ごくたまに破格の質と量を誇る冊子がある。それが「NHK出版新書 特別編集号!」だ。

要するにNHK新書の広告なのだが、掲載されている18人の原稿は、どうやらすべて、この無料小冊子のための書き下ろしっぽい。しかも驚くべき質の良さだった。挙げていくとキリがないので、「マスメディアとつきあう方法」の角度で、4人だけ紹介しよう。いや、5人。適宜▼

▼まず、いい新書をつくるアイデアを2つ、惜しみなく披露しちゃってるのが斎藤環氏の「教養主義の復権」。若手の発掘方法と、翻訳出版のススメだ。


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〈▼最近の若い学者は、デビューのパターンがかなり共通している。まず最初に重厚長大な博士論文をリライトして単行本として出版する。ついで、少しカジュアルな装いの一般向けの本を出して知名度を上げる。この「一般枠」で新書が選ばれることが多い。私自身、最初の著作『文脈病』(青土社)に続けてPHP新書から『社会的ひきこもり』を出版し、これが幸い広く読まれたため「ひきこもりの斎藤」という認知が広がった経緯がある。

こういう「青田買い」には困難な面もあろうが、ぜひ積極的にやってほしい。国会図書館には、日の目を見ることなく眠っている膨大な博士論文、修士論文が所蔵されている。興味深いテーマを発掘して、書き手にコンタクトを取り、新書の著者に育て上げるのは、新書編集者の醍醐味と言えるのではないだろうか。(中略)

▼書籍の翻訳は当然、原著書に印税を支払う必要がある。しかし原著論文に関しては、基本的に「買い取り」である。要するに、一度交渉が成立して論文を買い取ってしまえば、その翻訳がどれほど売れても原著者に印税を支払う必要はないのである。

そこで私が提案したいのは、注目されている学者の原著論文を二、三本買い取り、専門の研究者にわかりやすい翻訳をさせて、これに長めの解説を加えるという企画だ。原著論文など一般向けには難解すぎるとの懸念もあろうが、訳文の工夫と注釈次第でなんとでもなるし、分量的にはこれで新書一冊分くらいにはなるだろう。

論文の選択については、サンデルやピケティのようにすでに広く読まれている著者のものでも良いし、私の専門で言えば精神科医のナシア・ガミーやマーカス・E・レイクル(「デフォルトモード・ネットワーク」の提唱者〉らの原著論文などはぜひ日本語でも読んでみたい。もちろん、翻訳は出版されていないが興味深い主張をしている学者(TEDなどで人気があるような)の論文を紹介するという形でも良い。〉
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▼太っ腹な文章だ。もはやNHK新書の宣伝でもなんでもなくて、むしろ他社に塩を送っている。この二つのアイデア、方法論は簡単だし、真面目に探したらダイヤモンドの原石がたくさん見つかるんじゃないの?

ぼくは博士論文や原著論文のなかから、「死生学」の最新動向についてまとめた新書が読みたい。ニッポン社会は「死者との対話」というメディアを失って久しいということに、2011年3月11日以降、ぼくは気づかざるを得なかった。そして新しいメディアは、すでに世知に長けた「学」閥や「財」閥の枠からは生まれにくいだろうとも感じる。

斎藤氏が提唱する博士論文や修士論文の青田買いからは、既存の学閥や財閥に絡め取られ、窒息する前の、イキのいい思考が見つかるだろうし、日本語以外の原著論文からは、「ニッポンの生と死」そのものを相対化する力作が見つかるだろう。「TED新書」とか、安上がりでいいんじゃない?


▼次に、科学者によるプレスリリースの「メガ盛り」問題に言及した八代嘉美氏「マッチとポンプ」


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〈(ある学術論文で)イギリスのグループが、研究機関が報道各社に出している研究成果の「プレスリリース」と報道内容との対比を通して、研究成果が誇張されていた記事はどの段階でおかしくなったのか? という検証をしています。この論文では、「動物実験で成功した成果がすぐに人間の臨床応用につながる」といった短絡的な記事や、「因果」と「相関」をごっちゃにしているような記事、あるいは読者に生活習慣を早急に変えることを迫るような記事を取り上げています。

ただ、その誇張は記事になる段階ではなく、大半がプレスリリース自体、つまり研究者サイドが発信する段階ですでに誇張されていた、ということを指摘しました。反面、プレスリリースが抑制的な場合は、記事での誇張もほとんど見られなかったそうです。

もちろん、この研究論文一本でこれまですべてのプレスリリースの方法が間違っていたと言えるわけではありません。しかし、「だからマスコミは……」と断じてしまえるほど、間違いの所在がシンプルではないということも浮かび上がるのです。研究者側にも責任の一端があるかもしれないことは、頭に入れておいてもよいでしょう。〉
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▼マスメディアがミスる原因は、メディアの中だけにあるのではない、プレスリリースもまたメディアなり、というわけだ。たしかに、プレスリリースで煽ったり盛ったりしていて、報道した側があとから「やられた!」とうめいても後の祭りですね。

しかもこれは、マスメディア業界の内部の人々でしかわからない生態学だろうナ。ぼくはプレスリリースと記事とをみくらべることってまずないし、というかそもそもプレスリリースというものを目にしたことがほとんどない。

ただし、役所やNGOのいろんな調査結果、アンケート結果をもとにつくられているニュースなら、インターネットでネタ元を見つけて、興味関心に従って各紙記事とみくらべる、といった作業は、そんなに難しくはない。一億総メディア化時代の今、優れた「メディア論」「編集論」がますます求められる。


▼3人目。プロフィギュアスケーターの鈴木明子氏「トリプルアクセルだけがすべてじゃない」。これはたった一文、〈「わかりやすさ」が先に立つメディアでは、本音をお伝えするのはむずかしいことです〉。

氷の上の演技とは関係のない、「摂食障害から見事に復帰した鈴木明子」というレッテル貼りに不満を感じた鈴木氏は、「こっち」と「あっち」との落差を冷静に見つめることによって、「わかりやすさ」というお化けを相対化する力を鍛えたように見受けられる。そのいっぽうで、もともとの教育(学校も家庭も)が素晴らしかったからこそ、のようにも感じられる。こうした当事者発の言葉が増えれば、それらのなかから、メディア・リテラシーというわかりにくい言葉に替わる言葉が見つかるかもしれない。


▼4人目。『永続敗戦論』の白井聡氏「新安保法制の背後に何があるのか?」。白井氏は、ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)が2012年に発表した「第三次アーミテージ・リポート」と、ヘリテージ財団研究員ブルース・クリングナー氏の論文を紹介し、現下のニッポンに足りない力を指摘する。文中傍点を【】に。


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〈状況は、いかなる考察も不要であるほどクリアである。「日本は一流国であり続けたいのか、それとも二流国へと没落するつもりなのか」(アーミテージ・リポート)、すなわち、「一流国」であり続けたいのならば、原発を続けろ、TPPにも入れ、専守防衛などやめてアメリカの戦争を手伝え、という強烈な恫喝が発せられ、それに「粛々と」従う形で、今日の政策が強行されているわけである。

ここで注意すべきは、こうした対日要求が前代未聞の新しさを含んでいるわけではない、ということだ。(中略)これは、冷戦時代、特にベトナム戦争以降アメリカの威信に翳(かげ)りがさすなかで唱えられ始めた「安保タダ乗り」論の最新版なのである。

してみれば、提出されるべき問いとは、今日21世紀に入って、【なぜこうした要求を拒む力が急速に衰えたのか】、という問題である。同様の傾向は、小泉構造改革の際に背景として注目を浴びた「年次改革要望書」等にも当てはまるはずだ。

真っ先に指摘されるべき事情は、冷戦構造の終焉である。ソ連を共通敵として名指すという状況がある限り、「タダ乗り批判」も一定の限度を越えることはなかった。しかし、冷戦構造の崩壊は、アメリカにとっての日本の位置づけを根本的に変えた。すなわち、庇護・互恵の対象から収奪の対象へと変化したのである。

これに対して日本の政界は、選挙制度変更による「政権交代可能な二大政党制の確立」を標榜しながら、迷走を続けてきた。しかし、その過程が明らかにした事実がある。それはすなわち、政権交代は理論的にのみ可能である、という事実にほかならない。つまり、冷戦という大局的な構造が消えたとき、日本の議会制民主主義もまた崩壊へと歩み始めた。なぜ、そうなったのか、何が足りなかったのか、政界は何をすべきなのか。これらの問いに答えるためには、敗戦直後にまで遡り、現在に至る政治構造の問題点を浮き彫りにするとともに、特に55年体制の崩壊の意味を見極めなければならない。それが次の課題である。〉
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▼誰かに「忖度の歴史」とか出してほしいね。

安全保障政策について、ニッポンの側がものすごい忖度(そんたく)をしているわけだが、時のアメリカ政府本体が要求しているわけではない、とぼくは思う。そんなコメントは見たことも聞いたこともないからだ。

読売然り、産経然り、アメリカ政府の意思を体現しているわけでもないアーミテージレポートなどを使い、「アメリカの意向を忖度する」というかたちをとって、己の権力=権限を増やし、己のお金=利権を増やし、己の誇り=自意識を満足させ、要するに「得をする」輩たちがいてそのグループに乗っかることで得をする輩たちがいて、彼らの暴走を誰も止めることができない、という構図ではないだろうか。アメリカ政府も、べつに自分たちの損になる話ではないから、その動きを止めることはないし、歓迎のコメントを出す。

断続的に15年ほどメルマガを出してきたが、「中立」とか「不偏不党」とか呼ばれるニッポンのマスメディアの報道形式は、こうした「過剰忖度の構図」そのものについては大概「われ関せず」である。「大きな構図」に目を向けるためには、ニッポンのマスメディアが採用している報道形式は不向きなのかもしれない。

短期的な「事実」に「正確」に対応し続けることによって、長期的な問題に対応できているわけでは必ずしもない。ここらへんの生態学を探ったメディア研究を、新書でバシバシ出してほしいものだ。


▼最後に、巻頭言の佐藤優氏「反知性主義への砦として」


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〈日本の政治エリートに反知性主義的機運が蔓延している。ここで言う反知性主義とは、客観性や実証性を軽視もしくは無視して、自らが欲するように世界を理解する態度を意味する。物事の正否を判断する基準として、合理性や客観性でなく、「絆」や「勢い」などの情緒的言葉、個人的関係などが重視される。

難関大学を卒業し、司法試験や公認会計士試験、国家公務員総合職試験などの競争試験の勝者であっても、反知性主義を基盤にした方が政治権力に近づくことができる状況では、反知性主義に傾く。そして、エリートが政治目的で、芸術や文化を操作することができるというナチズムやスターリニズムに親和的な発想を抱くようになる。

こういう時代の雰囲気は、出版界にも伝播しやすい。隣国の名に「嫌」「悪」「恥」「沈」などの否定的な接頭辞をつける排外主義本、その裏返しである日本礼賛本などが市場に溢れている。資本主義社会において、合法的な金儲けを否定することはできない。「悪貨が良貨を駆逐する」というグレシャムの法則が出版界においても、短期的には適用されるのであろう。〉
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▼反知性主義の雰囲気をあらわす術語には「ニヒリズム」も加わるだろう。「絆」や「勢い」は、ニヒリズムを避けるための知恵にもなりうる。しかし、それだけでは足りない。どうしても、幾許(いくばく)かの「論理」が必要になる。その論理は、ありとあらゆる学問領域から援用できるし、援用すべきだ。

ざっとエッセンスを紹介したが、これらの論考の載った小冊子が、大きな本屋に行くと無料で置いてあるわけだ(もうなくなったかナ?)。読まない手はねえですよ。

ということで、リアル書店に行くススメでした。


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竹山綴労


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