【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2015年9月15日火曜日

鬼怒川決壊と『河北新報のいちばん長い日』

【メディア草紙】1974 2015年9月15日(火)
■鬼怒川決壊と『河北新報のいちばん長い日』■
 

▼9月13日から17日は、七十二候の「鶺鴒鳴」(せきれいなく)。鶺鴒は稲田の水辺を飛び、ピユピユと鳴く。その鳴き声で稲刈り時を教えてくれる。

2015年の9月10日、大雨が続き、鬼怒川(きぬがわ)の堤防が決壊した。多くの行方不明者を出した豪雨で、まわりの稲田も冠水してしまった。

▼氾濫した激流の中、取り残された人々が屋根の上から、マンションのベランダから、必死で手を振る映像がテレビで何度も流された。何千万もの人々が見入ったと思う。

救援ヘリに向かって手を振る人々の姿を見ながら、ぼくはハラハラした気持ちの片隅で、『河北新報のいちばん長い日』(著者=河北新報社、文春文庫)に出てくる門田記者のことを思い出した。

▼『河北新報のいちばん長い日』には、渾身の報道が〈結果として無力だった〉例が描かれている。

2011年3月12日早朝、河北新報の写真記者である門田勲氏は、福島空港から中日新聞のヘリコプターに同乗した。言うまでもなく、前日に起きた東日本大震災の取材である。


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〈門田はファインダーから目が離せなかった。あまりの恐怖のため、肉眼で被災の光景を直視することができなかったのだ。(中略)

ヘリは石巻市上空に来た。整備士が「あそこに人がいます」と声を上げた。小学校の屋上に「SOS」の文字が見える。白紙を並べて文字を作ったのだろう。救出を待つ人々がヘリに向かって腕を振って大声で叫んでいた。周囲は浸水している。手を差し伸べたいが、何もできない。無力感で折れそうな心を抱えながら、上空を旋回して写真を撮り続けた。

「ごめんなさいね、ごめんなさいね、ごめんなさいね……」

突然、隣席に座る中日のカメラマンがつぶやきはじめた。「僕たちは撮ることしかできない。助けてあげられないんだ……」

彼は眼下の人々に詫びるように、何度も独り言をつぶやいた。門田も「そうだよな」とうなずいた。そう言わないとシャッターを切れなかった。いまこの瞬間に亡くなるかもしれない人が真下に多数いる。自分たちの行為は見殺しと同じではないのか。

「何やってんだ、俺。最低……」

ひたすら自分を呪った。〉(72頁)
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▼ヘリから見ても、その学校の名前すらわからなかった。一面が水没し、海のようになっていたからだ。建物の屋上で、避難者たちはコピー用紙を並べて「SOS」をつくっていた。門田氏が撮った写真は3月13日付の河北新報に載った。

▼河北新報は2011年5月13日付から、「ドキュメント大震災」という、60回を超える連載を始める。その〈狙いは、情報が交錯した震災当初、断片的にしか伝えられなかった被災現場の状況をあらためて掘り起こして再現することである〉(257頁)

連載第一回には、「屋上のSOS」の写真が選ばれた。

〈屋上のSOS(石巻) 3月13日の朝刊に、石巻市の学校を上空から撮影した写真が載った。屋上に「SOS」の白い文字が浮かんでいる。小さな人影が両手を大きく広げ、助けを求めていた〉

取材ヘリの下で何が起きていたのか。河北新報は、自らの紙面を自ら検証したのだ。

その学校は、石巻工業港から1キロほど北上したところにある大街道小学校だった。大街道小に避難し、孤立していた人の数は約600人。そして、検証取材によって衝撃的な事実がわかった。

取材は大震災の翌日。写真が載ったのは大震災の二日後。しかし〈(石巻市立病院の看護師は)日赤の緊急医療チームがやって来たのは震災1週間後だった、と記憶する。〉

▼検証の結果に、門田氏は大きなショックを受けた。


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〈自分たちが乗ったヘリに向かって腕をちぎれんばかりに振っていた女性たちは、はっきりと「救助」を求めていた。せめて、「食糧」だけでも落としてくれればと願っていた。しかし、そのヘリは飛び去ってしまった。その後数日間、飢えと寒さが襲い、死んでいった人もいた。医療チームが救命に派遣されたのが一週間後だったことにも愕然とした。

「新聞に写真が載れば自衛隊や警察の目に留まり、速やかな救出活動につながるのではないか、そうすれば間接的にも人命救助に貢献したことになる……そんな思いで自分の気持ちを割り切っていたのだが、現実ははるかに厳しいものだった。医療チームが入るまで相当な時間がかかり、あの写真が結果として無力だったことが分かった。いったい報道とは何だ? 俺の仕事は本当に人の役に立っているのだろうか?……」

ふたたび強烈な自己嫌悪に陥った門田は、今も苦しみながら自問自答を続けている。〉
262頁
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▼人としてのあり方を問われるような情況下で取材し、その内容が載った新聞を刷っても、「結果として無力だった」とわかった時の衝撃は、想像できない。

マスメディアの役割はたくさんある。突き放して指摘すれば、自分が属する「法人の利益のため」に働くことがマスメディア人の最大の役割である。しかし『河北新報のいちばん長い日』に描かれている出来事は、そんな「擬制」を突き抜けた場所で起きたことばかりだ。

正確な情報を、公共の場で共有すること。これが最も大事な役割だった。そしてそれはメディア本来の役割だ。しかし、河北新報のこの報道の場合、必要な情報が、必要な人に伝わらなかった。

まず、SOSの場所が不明だった。もしかしたら、伝わるべき人、部局に伝わっていたのかもしれない。想像を絶する修羅場の渦中で、対応が間に合わなかったのかもしれない。

▼メディアには「環境監視」という機能がある、と伝統的にいわれている。世界各国でメディア理論の教科書として使われている『マス・コミュニケーション理論』に、以下の記述があった。これは政治報道についての解釈だが、部分的には災害報道にも当てはまると思う。


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〈新聞もテレビのニュースも、膨大なエネルギーと努力をそそぎこんで数々の政治キャンペーンを取材し、その努力の成果をオーディエンスに届ける。もし、読者や視聴者がその報道を読んだり見たりしなかったなら(利用しなかったら)、コミュニケーションは発生せず、意図された機能は生じない。

しかし、もし読者や視聴者が報道を読んだり見たりすれば、そのとき、私たちが環境監視と呼んでいる意図された機能が生じうる。

このようにメディアは、人々がその内容を何らかの形で利用しなければ、意図した機能を果たしようがない。環境監視機能が生じるためには、重要な出来事についてのニュース情報が、能動的オーディエンスが利用することによって型どおりに伝達され、その結果、こうした出来事についての学習が広まらなければならないのである。

このように、ニュース・メディアは、十分な数のオーディエンスがメディア内容を何らかのかたちで利用する意志と能力があるときに限り、こうした社会レベルの機能を果たすことができるのである。〉

スタンリー・J・バラン、デニス・K・デイビス
『マス・コミュニケーション理論 下』378頁
第10章 メディアとオーディエンス
新曜社、2007年
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▼あの時、大街道小学校の周辺を含めて、河北新報が届いた地域内には、ふだんの社会の「型」は存在しなかった。『マス・コミュニケーション理論』の表現に倣えば、読者が報道を読み、利用しようとしても、利用することが不可能だったために、報道は社会レベルの機能を果たすことができなかったのだ。門田氏は立派にジャーナリストとしての仕事を果たしたと思う。

こんなことを書いても、門田氏の苦しみが軽くなることはないとわかっているのだが、鬼怒川の堤防決壊の報道をテレビで見ていたら、書いておきたくなった。災害の形態も、規模もまったく違うのだが。

▼今回の豪雨では、たくさんの機関のたくさんのヘリが役割を分担し、たくさんの人命を救った。


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〈ミソコプター @miso_copter 
報道ヘリと救助ヘリは122.6MHz等で相互に連絡を取り合って空中衝突を回避している。要救助者を発見しては報告しているのは報道ヘリである。〉

〈Flying Zebra @f_zebra 
報道ヘリの飛行高度を制限し、定期的に広角に引いて撮影して広域の情報を確認したり、被災者の捜索、通報に協力するなど、過去の災害報道での教訓から定められた様々な決めごともうまく機能したようだ。不備を責め立てるのではなく、改善する姿勢が大切なのだと思う。〉

〈ミソコプター ‏@miso_copter
テレ朝報道ヘリが救助を邪魔したって言ってる人多いけど、実際は救助の陸自ヘリ(UH-60)高度50m、テレ朝ヘリ(EC135)300〜450m、NHKヘリ450〜600mで全ての辻褄が合う。つまり望遠レンズの圧縮効果による錯覚。feetにすれば1000,1500,2000のどれか〉
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▼自衛隊をはじめとするレスキュー隊は、信じがたい精度で次々と人命を救っていった。すさまじい訓練の賜物なのだろう。自衛隊のこの「命を救う力」を、海外で必要とする人がたくさんいる。

鬼怒川決壊の次の日、「東日本大震災から4年半」の記事が各紙に載った。4年半経った今もなお、国内避難者の数は19万8513人にのぼる。


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竹山綴労


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