【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2013年9月15日日曜日

【オフノート】東郷和彦 34/三つの領土問題――尖閣 その2

【PUBLICITY 1942】2013年9月15日(日)


【オフノート】東郷和彦 34
〈三つの領土問題――尖閣 その2〉


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ne parcas,ne spernas.

容赦するなかれ、軽蔑するなかれ。
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【いまは「戦時下」といってもいい事態】

――尖閣問題も歴史問題であり、竹島問題も本来、歴史問題で
あり、さらに慰安婦問題とダブルパンチになっているわけです
が、国内の論調についてうかがいたいと思います。ネットの中
には、東郷さんを左翼呼ばわりしている人がいます。田母神さ
んの信奉者です。

東郷 そうでしたか(笑)。

――これはすでに右翼とか左翼とかの区分けに意味がなくなっ
ている象徴的な出来事だと思います。


【註】
▼ネットの中で東郷さんを「左翼」と呼び、罵倒する向きがあ
ることにぼくは本当にビックリした。この傾向は田母神史観の
流行と軌を一にしている。

以下に『歴史と外交』から二つ引用するが、この文章を発表し
ている人が左翼なら、日本人の大半は左翼になってしまう。ま
ったく現実とは掛け離れた言説を熱狂的に受け入れる人々の数
は、ぼくは減っていないと感じている。

▼まず、「靖国のメモリー」について。


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私は、遅れてきた世代がなすべきことは、彼らを忘れないこと、
そして、命を捧げてくれたことに感謝の気持ちをもち、それを、
いちばん適切な場所で表現することだと思う。

どこが、そういう気持ちを表するいちばん適切な場所か。それ
ぞれの国において、そういう場所があるはずである。

日本の場合、先の大戦で亡くなられた人びとの多くが、「靖国
で会おう」との気持ちをもって亡くなったという国民的な記憶
がある。この民族の記憶は、けっして軽んじてよいものではな
い、と私は思う。

自分の父が、夫が、恋人が、兄弟が、親しい人が、「靖国で会
おう」と言って死んでいったのであれば、そういう思い出を抱
く人びとにとっては、靖国神社こそが、心に抱く人を偲ぶ場所
になるにちがいない。

31頁
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▼次に、祖父である東郷茂徳さんと靖国神社との関係について、
どうとらえているかの叙述を引用しておく。


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私の祖父東郷茂徳は、開戦と終戦の外務大臣を務め、A級戦犯
として禁錮二十年の刑を受け、一九五〇年、みずからの外交手
記(『時代の一面』)を書き上げた一ヵ月後、巣鴨刑務所内で
病死した。その結果、一九七八年に十四名の戦犯のうちのひと
りとして、靖国神社に合祀された。

合祀についての通知を受けた両親は、少々驚いたようだったが、
それ以降その問題が、家族のなかで議論された記憶はない。

茂徳は、開戦を防ぐこと(それは実現しなかった)および終戦
を実現すること(こちらは、達成された)にその生涯を捧げた。
東京裁判において、彼は自分自身と祖国の名誉を守るために闘
った。それが茂徳の戦いであり、名誉であった。

私は、靖国神社が、祖国に貢献すべく一生を捧げた祖父の名誉
を称えてくださったことは、とてもありがたいことだと思って
いる。祖父が、刑事罰を問われるべき戦争犯罪人であるかと問
われれば、断固として、確信をもって、そうではないと答える。

同時に、このような個人的な状況が、日本にとって、ぜひとも
必要な国民的共通意見を達成するための障害となってはならな
い、とも確信している。

他方において、これとは別の方向で、戦争責任の問題を考える
こともできる。戦争責任は、国家全体として負うというもので
ある。先の大戦に日本が傾斜していくにあたって、たんにその
指導者のみならず、世論、メディア、知識人の多くが日本の大
陸進出を強く支持していたという否定しがたい事実がある。

損害と苦痛を受けた人との関係では、究極的には日本人の誰も
が責任をまぬがれることはできないのではないか。

もしそうであるならば、戦争責任を自認する唯一のありかたは、
「日本全体として」それを認めることになり、そのことこそ、
日本としての、より高次の道義的な立場に立つことになるので
はないか。

そのように考えるのであれば、A級戦犯として処刑されたかた
がたは、国家全体によってなされた行為をみずからの命にかえ
て責任をとった人たちということになり、国家として当然弔う
べき人たちということになる。

この考えかたは、中国やその他の国で靖国神社への追悼を許し
がたいとする人びとの主張と、真っ向から対立する側面がある
が、私は、この考えかたには、敬意をもって接してほしいと考
えている。

p40-42
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――東郷さんは『歴史と外交』などの著作の中で憲法九条は変
えるべきだと訴えておられます。本来は、冷戦が終わった19
90年代の前半こそ、「村山談話」の流れとパラレルに、憲法
改正に取り組むべきだったともうかがいました。

2008年から田母神さんのブームが起きました。その翌年に
インタビューした際、「やっぱり憲法9条は変えたほうがいい
ですか」というぼくの質問に対して、東郷さんはこうおっしゃ
っていました。

「憲法九条は変えたほうがいい。あるいは解釈を変えるという
方法もある。しかし日本人のメンタリティーからすると、半世
紀も続けてきた解釈を変えるのは説明が要るし、その知恵は今
の私には浮かびません。ただし、田母神さんの論文に、あれだ
け多くの防衛省の人々が賛同の意を示しているという事実を知
った今は、現時点では憲法9条を変えない方が日本のためにな
るのかもしれない、と感じています」と。

東郷 たしかにそう申し上げました。

――あれから4年以上経ちました。いま「ナショナリズムの空
気」について感じることはありますか。

東郷 次元が変わったと思います。田母神さんをめぐる問題は、
やはり歴史認識の問題ですね。今回の尖閣問題も歴史問題化さ
れたけども、しかし一気に「島を奪うか奪われるか」という話
になってしまった。これは今まで日本が遭遇したことのない新
しい事態です。根本的な変化だと思う。このショックは、田母
神さんの言論が出てきた時よりも、はるかに大きいです。

実際に中国が武力で島を取り返しにくるかもしれない、という
事態は、考えてもみなかったことです。しかし、もう中国はそ
ういう態勢をつくって攻勢を仕掛けてきた。もちろん、100
%戦争になるわけではない、というインディケーション(=兆
候)もありますが、日本の領海に中国の公の船が、あれだけの
規模で、島の実効支配のために入ってくるという事態そのもの
が、ほとんど戦時下というべき事態と言っていいと思います。
まず、その認識が日本人はまったく薄い。

外交政策を、とくに安全保障という「国が生きるか死ぬか」の
根幹を根本的に考え直さなければならないということです。い
ま議論されている憲法9条の話は遅きに失したと思います。

――遅きに失した。

東郷 そう、もはや遅きに失している。「田母神現象」が起き
た時、ナショナリズムの高揚との関係で、はたしていま憲法9
条を変えるべきなのか、とたしかに私も考えました。ましてや
今、憲法9条を改正したら中国との緊張関係が一気に悪化し、
中国は何らかの行動を起こすかもしれません。

今は「本当に危ない橋」を渡っている時なんです。その時に、
戦術的に何がいちばん得策なのか。取るべき選択肢には幅があ
ると思います。

憲法の改正はものすごく巨大な政治的コストがかかる。いっぽ
う、解釈の変更はどうか。たしかに半世紀も続けてきた解釈を
変えるのは、日本人のメンタリティーに合わないと思います。
しかし、尖閣によって情勢が急激に変化している今、この大き
な時流のもとで「解釈の変更」はありうるのではなか。

もっと端的に言うと、「ごちゃごちゃと論議する時期は過ぎた」
と私は認識しています。「生きるか死ぬか」の渦中に入ってし
まった。その時に至ってなお「解釈の変更は許されない」とも
一概には思わないです。やはり、この問題は、1990年代前
半、冷戦の終了時に片づけておくべきことだったように思いま
す。

――海上警備力を拡大すべきだが、その方法、段取りを考え抜
かねばならないということですね。「月刊日本」では「『毅然
とした対応』をとれば日本国内の保守派の心情に媚びることに
はなるかもしれないが、領土を守ることにはつながらない」(
2012年12月号)と述べておられます。


【平和主義は日本最大の財産】

東郷 尖閣問題についてもう少しお話ししておきたい。今まで
の日本の平和主義――憲法9条の第1項、前文に書いてある平
和主義ですね――に基づいて日本がとってきた行動がある。そ
して尖閣をきっかけに生じたまったく新しい状況下で安全保障
をどう考え直していくか。問われているのはこの両者の関係で
す。

今の中国は、あたかも「19世紀の帝国主義」に戻ってしまっ
たように見えます。「必要な国益は武力で奪います」という姿
勢です。

――東郷さんの文脈に沿った問いの立て方をすると、中国がい
よいよ21世紀をリードするアジア発の思想を発信するだろう
と思っていたら、そうではなかったと。

東郷 そうです。中国はこれから、19世紀的な帝国主義の思
想を「新しい何か」でくるもうとするでしょう。儒教の思想は
調べれば調べるほど幅広いです。たとえば性悪説に基づいて、
国は上からコントロールしなければならない、という発想を正
当化する思想は、儒教の中にたくさんあると思います。

しかしその本質は19世紀的帝国主義であり、自国の国益を追
求するためには武力を使うということです。それは、少なくと
も戦後、国連憲章のもとで「そうではない」と定められた。自
衛権の行使か、国際社会が認知し、安保理が認知したうえでな
ければ武力を使ってはいけない、と。これは戦後の平和思想の
根本であり、国際社会の秩序です。

ただし日本は憲法9条のもとで、自衛権の範囲をすごく狭めま
した。国連憲章のもとでの出動についても、「岡崎書簡」でク
エスチョンを残したまま国連に入った。少なくとも国連憲章の
レベルで、日本の平和主義の意味をもう一度問い直して、新し
い安全保障観とドッキングしなければいけないと思います。

そうでないと結局、「中国に刺激されて、戦後の日本の平和主
義というものは壊滅してしまった」となってしまう。今の中国
と同じレベルの帝国主義国家、安全保障国家になるのか、もう
一回考え直す時です。

必要とされるのは、日本が国際社会に発信する、新しい文明と
しての平和主義です。そうでなければ、何のために戦争をして、
何のために敗北したのだということになる。あの敗北を経て、
世界的にみて日本の一番良いところは平和主義です。

ところがこれまでは「左」の平和ボケによって、無責任平和主
義とでもいうべきものが広がった。最近は「右」の平和ボケに
よって、むしろ中国と同じレベルの帝国主義をやればいいじゃ
ないかという人が増えている。

私はいずれも間違っていると思う。平和主義の放棄ではない、
責任ある平和主義をつくりださなくちゃいけない。中国に刺激
されて同じことをやってはいけない。

戦争に至った富国強兵と、戦後の徹底した平和主義の、両方を
統合すべき時であり、その一つのイメージはスイスです。中国
が領海に入ってきたら、日米同盟があってもなくても叩くぞ、
というレディネス(=準備が整った状態)を保ち、同時に「日
本はそれを絶対に使わないぞ」と表明する。

この観点から言っても、領海への侵入はやめさせなければいけ
ない。何度でも申し上げますが、由々しき事態なのです。いま
中国は、日本をじっと見ているわけです。そして中国内から「
(戦争を)やれ、やれ」という意見が出てくるのは、やはり日
本をなめていると言わざるを得ない。

でも、私は何人かの日本人と話をしていて、「ホントにそんな
ことが起きた時に、日本は戦うんですか。そんなこと、できな
いじゃないですか」と言う人が結構おられることに驚いていま
す。

私が「もう今の日本は、1954年に韓国に竹島をとられたと
きの日本とは違いますよ。本格的に中国船が領海に入ってきた
ら、戦うでしょう。他のオプションはないと思いますよ」と言
うと、「どうですかねえ……」と絶句される。理解に苦しみま
す。

――太平洋戦争以降、今までにない事態なんですね。

東郷 戦前は、「戦争と平和」はまさに踵(きびす)を接して
いた。外交官は、外交が失敗したら「次は戦争になる」という
ことを命に刻み込んでいた。あらゆる問題に対応して、日本の
国益を守り、生命線を死守する、その前線にいた。

そもそも戦前の外交官は常に軍と一緒にいた。軍人のいない外
交はなかったのです。「外交が失敗したら軍人が出てくる」の
は自明の理だった。それだけに心ある外交官、大部分の外交官
は必死だったわけです。自分たちが失敗したら次は間違いなく
戦争になるわけだから。

その感覚が戦後、なくなってしまった。そういう問題意識自体
が消えてしまった。憲法九条と日米同盟がつくりだした恐ろし
いメンタリティー(=心理状態)だと思います。わからなくな
っている、外交が失敗したら戦争になるというリアリティーが。
それこそ、今まさに尖閣で問われている問題だと思います。

(つづく)


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