【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2013年9月27日金曜日

【オフノート】東郷和彦 総目次

【PUBLICITY 1951】2013年9月27日(金)


▼東郷和彦さんのロングインタビューを終えて、思ったことを
幾つかメモしておきたい。

まず、本誌で扱った最長のインタビューになった。なにしろ通
算で45回も発信した。註が多いけど。

長い分量をかけて発信し、背景も含めて共有すべきだと感じさ
せる東郷さんの話だった。おそらく「右」を自称する/他称さ
れる人にも、「左」を自称する/他称される人にも、益する内
容が含まれていると思う。

現在の日本の知的情況の特徴は、東郷さんの小論やインタビュ
ーが、岩波の「世界」と「週刊金曜日」と「文藝春秋」と「月
刊日本」に、同時期に掲載されることに象徴されている。

尤(もっと)も、もっとわかりやすい例は、もはや数えきれな
い数の雑誌や新聞に連載を繰り広げる「佐藤優」の存在である。

彼らのように旧来の「左右」の枠を超えて論陣を張っている/
張らざるを得ない人々の思想(=運命)と論点(=戦略)と語
り口(=戦術)を吟味すれば、「世界の中の日本」が可視化さ
れ、「国家」が相対化され、各々の守るべきものが見えてくる
と思う。


【取材のきっかけ】

▼東郷さんにインタビューするきっかけは「フォーラム神保町」
(現在は終了)だった。同フォーラムが主催するいくつもの勉
強会のうち、東郷さんの連続勉強会に参加したのだが、まず何
枚かのプリントが配られた。それはのちに講談社から出版され
ることになる『歴史と外交』のゲラだった。

勉強会は、プリントの内容について東郷さんがまず話し、その
のち参加者から質疑応答を受け、自由に議論した。議論には「
チャタムハウスルール」が適用された。(議論で得た情報は自
由に使っていいが、情報源は一切明かしてはならない、という
ルール)

そしてこの勉強会の肝(きも)は、議論によって東郷さんのプ
リントに検討すべき箇所が見つかれば、すべて訂正して新著に
反映する、という東郷さんの基本姿勢だった。

▼これから出版する本の全容を、「意欲はあるが見ず知らずの
複数の人間」に配り、自由に議論を促し、自らの間違いが見つ
かれば積極的に著作に反映する……この段取りを、こうやって
書いてみれば、とても合理的で価値的だが、実際におこなうの
はなかなか難しいことだと思う。

しかも当人は、かつて外務省の文字通り中枢におり、北方領土
交渉で正真正銘の「国益」のために死力を尽くし、複数の局長
職やオランダ大使を歴任した人である。ぼくはなによりもまず、
あれほど理不尽な仕打ちを受けて外務省を追われ、数年間の「
漂流」を経てもなお保たれている、東郷さんの「オープンな知
的態度」に感銘を受けたのだった。

そして実際に、東郷さんはこの連続勉強会を通して、章立ても
含め、幾つかの表現、内容を変更し、『歴史と外交』を世に問
い、ロングセラーとなった。

こういう誠実な姿勢を有するトップエリートの思索の痕跡、思
想の背景、また、今まさに生起している時事問題へのコメント
を、堅苦しくない形式で社会に共有できる機会は多くはない、
と感じたのも、ロングインタビューをお願いした理由の一つだ。


【取材で得た僥倖】

▼インタビューの準備をし、まとめる経緯では、東郷さんの学
生時代の恩師である哲学者の井上忠さんと東郷さんの再会をお
手伝いすることができた(オフノート第15回から第18回に
詳しい)。

思いがけない「師弟の再会」は、同席したぼくにとってもアリ
ストテレスをめぐる得難い学びの場となった。

(まったくの蛇足だが、井上忠さんは現役教員時代、通称「イ
ノチュウ」と呼ばれていたのだが、これはもしかして井上哲次
郎が「イノテツ」と呼ばれていたことと関係あるのだろうか?)

▼ほかにも権藤成卿が唱えた「社稷」の思想、「東京裁判」の
速記録など、それまで縁の薄かった知的遺産をじっくり読むい
い機会になった。これも有難かった。

とくに「東郷氏(=東郷茂徳)はナチス時代のカサンドラであ
つたのであります」というブレークニー弁護人の一言は、あま
り知られておらず、発信できてよかった。この一言を『極東国
際軍事裁判速記録』から見つけた時の感懐は忘れられない。

▼おそらく、これほど長いインタビューを、今後、本誌で連載
することはないだろう。もう徹夜でまとめる体力もないし、割
ける時間もない。出来る事を、出来る時に、思いつくかぎりや
りきっておくものだ。下記の総目次を並べながら、そう思った。

▼全体のタイトルである「1945から/1945へ」は、「
1945年から」人生が始まった東郷さんの外交戦の跡を辿(
たど)る作業が、やがて祖父である東郷茂徳さんの「1945
年へ」至る道を確かめる作業になったので、こう名付けた。

「1945から」始まった歴史は、「1945へ」と反復する
のかもしれないし、しないかもしれない。

ぼくは、東郷さんの「歴史とは『人間の努力』である」という
定義が好きだ。誰にでもわかる定義で、嘘がないから。

▼第3章のタイトルは堀田善衛の本から、第4章のタイトルは
中島みゆきの歌から拝借した。歌詞を本編で引用し忘れたので、
ここで引用しておく。今から思えば、この歌詞と通ずるなにか
を「フォーラム神保町」の連続勉強会で感じたから、この連載
を書こうという気になったのかも知れない。


――――――――――――――――――――――――――――
世界の場所を教える地図は
誰でも 自分が真ん中だと言い張る

私のくにをどこかに乗せて 地球は
くすくす笑いながら 回ってゆく

くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
むずかしくは知らない ただEAST ASIA

「EAST ASIA」
作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
――――――――――――――――――――――――――――


【オフノート・東郷和彦「1945から/1945へ」総目次】

■第1章 “透明なビニール”の中で
 01から08まで(主に外務省時代の物語)

■第2章 職業としての外交
 09/職業としての外交
 10/日本の地盤沈下、ゆでガエル症候群
 11/外交の真髄
 12/情報戦における敗北の事例
 13/右か、左か。「嫌米」のバックラッシュ
 14/「独善」を避けよ!
 15/「弓」を引く力、その源泉
 16/恩師との対話、12世紀ルネサンス考
 17/アリストテレス革命
 18/第2章終わり

■第3章 美(うるわ)しきもの見し人は
 19/美しきもの見し人は
 20/「最後の一戦に敗けた者が敗者」
 21/わだつみの底より
 22/年ふることのなきぞかなしき(上)
 23/年ふることのなきぞかなしき(下)
 24-A/「佐藤電報」を読む
 24-B/「ために社稷は救わるべくもあらず」
 24-C/「社稷」考~衣食住のネットワーク
 25/ナチス時代のカッサンドラ
 26/家庭の雰囲気について
 27-A/「自然」と「伝統」、そして「天皇」
 27-B/感性を失っていく歴史

■第4章 黒い瞳の国~East Asia
 28/戦争と道義心の不足
 29/「統帥権」雑感
 30/個人主義と全体主義の間で
 31/歴史とは人間の努力
 32/三つの領土問題・竹島
 33/三つの領土問題・尖閣 その1
 34/三つの領土問題・尖閣 その2
 35/台形史観のおさらい1
 36/台形史観のおさらい2
 37/ある外交官の一生
 38/三つの領土問題・北方領土1
 39/三つの領土問題・北方領土2
 40/新しい領土問題・沖縄と福島
 41/大学教育の経験
 42/歴史認識とアメリカ


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