【編集方針】

 
「本が焼かれたら、灰を集めて内容を読みとらねばならない」(ジョージ・スタイナー「人間をまもる読書」)
 
「重要なのは、価値への反応と、価値を創造する能力と、価値を擁護する情熱とである。冷笑的傍観主義はよくて時間の浪費であり、悪ければ、個人と文明の双方に対して命取りともなりかねない危険な病気である」(ノーマン・カズンズ『ある編集者のオデッセイ』早川書房)
 

2013年9月20日金曜日

【オフノート】東郷和彦 38/三つの領土問題――北方領土 その1

【PUBLICITY 1946】2013年9月20日(金)


【オフノート】東郷和彦38
〈三つの領土問題――北方領土 その1〉


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mage cavenda amicorum invidia,quam insidias hostium.

敵の伏兵よりも友人たちの嫉妬に用心すべし。
プブリリウス・シュルス
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【最後の窓】

――今年の1月、ずっと非公開だった「92年提案」に関する
東郷さんの重要な証言が産経新聞の1面トップに載りました。


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東郷元欧亜局長が証言
露、平成4年に秘密提案「平和条約待たず2島返還」
2013年1月8日付

北方領土交渉をめぐりロシアが平成4(1992)年、平和条
約締結前の歯舞群島、色丹島の返還と、その後の国後、択捉両
島の返還に含みを持たせた提案を秘密裏に行っていたことが7
日、分かった。外務省で領土交渉に携わった東郷和彦元欧亜局
長が産経新聞に証言した。これまで提案の存在自体は知られて
いたが詳細が判明したのは初めて。旧ソ連時代とは異なり踏み
込んだ提案だったが、四島返還の保証はなかったため日本側は
同意せず「幻の提案」として終わった。

提案は当時の渡辺美智雄外相とコズイレフ外相の会談の席上、
口頭で行われた。ロシア側は(1)歯舞、色丹を引き渡す手続
きについて協議する(2)歯舞・色丹を引き渡す協定を結ぶ(
3)歯舞・色丹問題の解決に倣う形で国後、択捉両島の扱いを
協議する(4)合意に達すれば平和条約を締結する-と打診。
エリツィン大統領の了承はとっていなかったが、日本側が応じ
れば正式提案とする可能性があったという。

歯舞・色丹の返還を先に進めるという点で昭和31(56)年
の「日ソ共同宣言」とは違った内容だ。さらに協議の行方によ
っては国後・択捉の返還の可能性も残した。東郷氏は提案の特
徴について「平和条約を待たずに歯舞・色丹を引き渡すという
譲歩をロシア側はしている。日本側には四島一括の看板を取り
下げ歩み寄ってほしいと要請している」と指摘する。

これまで東郷氏は著書『北方領土交渉秘録』(新潮社)で「9
2年提案」と存在は認めていたが、交渉が継続していることも
あり内容については明かしてこなかった。ところが昨年12月
、当時のロシア外務次官ゲオルギー・クナーゼ氏が北海道新聞
の取材に対し「92年提案」について、歯舞・色丹の引き渡し
手続きに合意した後に平和条約を締結し、その後、日露間でふ
さわしい雰囲気ができれば国後・択捉を協議する、との内容だ
ったと述べた。

東郷氏は会談には同席していなかったが、クナーゼ氏の発言に
ついて「事実関係が異なる。この内容が独り歩きしたら90年
代の日露交渉がわからなくなる」として証言を決断した。

日本側が提案を拒否した理由としては、四島一括返還要求を捨
てることへの拒否感、もう少し譲歩を引き出せるのではとの誘
惑などが挙げられるとした。

東郷氏は「旧ソ連崩壊後で日露の国力に大きな差があった時で
すら四島一括提案ではなかったことを認識すべきだ。(当時と
状況は変化したが)それでも今、ロシアは交渉に応じる姿勢を
示している。安倍晋三首相にはプーチン大統領と勝負してほし
い」と語る。
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東郷 以前から私は「北方領土交渉は今年(2013年)が最
後だ」と思っています。その最後の判断をする時に、国民は「
過去の交渉の一番重要な事実」は知っているべきだと考えます
。しかし、外交ですから、どうしても言えないことがあるわけ
です。

もちろん、クナッゼが黙っていれば、絶対に私はなにも言わな
かった。ところがあの北海道新聞でのクナッゼの発言をそのま
まにしておくと、北方領土交渉について日本国民が「誤った情
報」をベースに考え、判断させられることになってしまう。そ
の事態を、私は避けなければならないと考えました。

また、クナッゼがあそこまでしゃべったことによって、ロシア
国内における彼の立場に対する心配はしなくてもいいと判断し
ました。

そのうえで、いちばん言いたかったことがあります。

――教えてください。

東郷 「2島プラスアルファ」の議論について、私がいちばん
訴えたかったのは、そしてなかなかどのメディアもはっきり書
いてくれないのは、まず、北方領土については少なくとも大き
なチャンスが3回あったということ。第1回はこの時です。

――1991年から1992年ですね。

東郷 そうです。そして第2回は、その失敗を十分念頭に置い
て、私とパノフ、ロシュコフたちで取り組んだ2000年から
2001年ですね。

それでもダメだったが、3回目があった。それは安倍さんが首
相、麻生さんが外務大臣、谷内さんが外務次官の時に、「面積
の等分論」というものが出てきました。私は驚きました。なん
らかのフレキシビリティー(柔軟性)を考える、ということだ
ったのでしょう。2006年に始まり、7年、8年、9年と続
きましたが、鳩山内閣の時、2009年11月の(鈴木宗男衆
院議員の)質問主意書に対する政府答弁書の中に「不法占拠」
と書いた、それにロシアが激怒した。この3回目はけっこう長
く続きました。3年半は続いたんですね。

しかしこの3つとも、日本は失敗してしまった。このなかで、
いちばん大きな解決の可能性があったのは、なんといっても9
2年だった。あれだけの提案が出てきたのに、それを基礎に交
渉しなかった。いま私の話す人のうち、四分の三は、「どうし
てあれ(あの提案)をとらなかったんですかね」と尋ねてきま
すよ。いっぽうで「あんなもの、のめるわけがないじゃないか
」という人もいます。

私の目には、あの提案には「日本が失うものはない」ように見
える。しかし、たしかに「四島一括」ではない。歯舞と色丹に
ならって、国後と択捉について交渉して、妥結したら平和条約
を結ぶ、という提案ですから、ならって、交渉しても、妥結し
ない可能性があるじゃないか、と問われれば、その通りなんで
す。それでも「四島一括の平和条約を結ぶ」という旗はおろし
ていない。しかも歯舞と色丹は返ってきている。

――ぼくも、東郷さんの証言を読んですごい提案だったんだな
と思いました。

東郷 「四島一括ではないから」こんな条件はのめない、とい
う声が、未だに日本の中にあるんですね。しかし私は今、大部
分の人たちはそうは思っていないと思います。

ですから、私がいちばん言いたかったことですが、あの、日本
が強くて、ロシアが弱かった、92年の時にロシアが出してき
たあれだけの譲歩案を、日本は受け入れなかった。

そして今、その後の国際情勢の大きな流れで、ロシアの国力が
増えて、日本の国力が弱ってきている。そうである以上、

「あのような好条件の案は、もはや出てこない」

ということです。

――なるほど。それはそうですね……。

東郷 あれから日本の国力が低迷し、漂流し、対するロシアの
国力が上がってきて今日に至っている以上、3回の機会の窓を
日本がつかみ損ねたということは、今回の、予見される将来に
わたる「最後の機会の窓」で、日本がつかめるものはもっと小
さくならざるをえない。このことを私は言わざるをえない。

「四島一括でないといかん」という考えは、いまの国際情勢を
見た時、私にとっては四島の返還にはまったくつながらない「
正義の旗」です。「いずれロシアは崩壊するかもしれない」と
か、「ロシアは中国が怖いから、なにがなんでも日本と手を結
ぶんだ」とか、そういう意見がありますが、これにも、まった
く根拠があるとは思えない。そういう議論が優越してきて、結
局また「四島一括でなければダメだ」となれば……。

――目も当てられない状況になりますね。

東郷 「プラスアルファ」であっても、今の段階では甘受して、
それによって事態の具体的な変化を起こすしか方法はないと思
います。でもここまではどのメディアもなかなか書いてくれな
い。安倍政権が最善の手を打つことを願っています。

四島交渉における最大の失敗は「完全な取りはぐれ」です。完
全に取りはぐれた場合、日本はどうしますか、と問われた時に、
ひとつのオプションは「戦争」です。「四島一括しかダメだ」
と訴えている人たちに、戦争で取り返すつもりはあるのか。

「ある」というのなら、話はまったく別ですよ。それはこれま
での日本とまったく違う国家像ですね。それは、先ほども申し
上げたように、19世紀的帝国主義に戻ることに等しいと思う。
僕は、そうなっていいとは思わない。日本の平和主義をもう一
度生き直させるためには、北方四島に対して武力は使わない、
ということです。非常に重要なところに差しかかっている。

「尖閣」についても同じです。中国がこうなった以上、日本が
同じことをやったとしても、文句を言われる筋合いはない。い
まの中国はほんとうに無茶をしている。日本には「俺たちがほ
んとうに怒ったらどうなるか知っているのか」という思いをも
つ世代の人々もいる。

しかし、「日本は中国と同じレベルで戦うことになっていいん
ですか」と私は問いたい。それこそ300万の英霊がなんのた
めに死んだのか。もう一度、同じことをやるためなのか。

『世界』に書いた「『村山談話』再考」に、『きけわだつみの
声』の木村さんという人の文章を引用しました。日本国がやり
すぎた部分も、自分が一身に背負って処刑されるのならいい、
あの軍国主義の連中のために死ぬと思ったら耐えられない、と
いう趣旨の文章です。


【註】

▼東郷さんは、月刊誌「世界」の2012年9月号「『村山談
話』再考」で、「私は、敗戦のあと、歴史の不条理をもっとも
過酷な形で引き受けさせられ、B級戦犯として刑死した学徒兵
の悲痛な遺書に、おそらくは、村山談話を受け入れる精神的な
基礎があるように思えるのである」と書いた後、その学徒兵の
遺書を引用している。


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日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難の真只中に負けた
のである。日本がこれまであえてしてきた数限りない無理非道
を考える時、彼らの怒るのは全く当然なのである。今私は世界
全人類の気晴らしの一つとして死んでいくのである。これで世
界人類の気持ちが少しでも静まればよい。それは将来の日本人
の幸福の種を遺すことなのである。(中略)

日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日
本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立た
ない。笑って死んでいける。(中略)

苦情を言うなら、敗戦と解っていながらこの戦を起こした軍部
に持っていくより仕方がない。しかしまた、更に考えを致せば、
満州事変以来の軍部の行動を許して来た全日本国民にその遠い
責任があることを知らねばならない」

(木村久夫、1946年5月23日、シンガポールのチャンギ
刑務所にて戦犯刑死。28歳)『新版きけわだつみのこえ』(
1995年、445~446頁)
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東郷 彼は犬死だったのか。断じて犬死にさせてはならない。
村田良平さんは、「村山談話」の発表は300万の英霊を犬死
させたことになる、とおっしゃった。それはたしかに一理ある
のです。しかしそれだけではないだろうと私は考える。日本の
平和主義を確立するために、戦争と一線を画そうとした時に、
やりすぎた部分はストレートに「やりすぎました」と認めるこ
とが、日本に道徳的な優先権を与えることになると思う。そう
した眼で「村山談話」を読み直すと、これはすごい文章です。
しかし、すごいと思っている人がきわめて少ないと思います。

――右バネが強いですね。

東郷 繰り返しますが、右バネに影響されている人に「中国に
挑発されて、中国と同じレベルの国家に戻るんですか」と問い
かけたい。「think twice」(=よく考え直そう)です。

いま進んでいる中国の19世紀的帝国主義への回帰は、日本に
大きな哲学的、道徳的、政治的、軍事的な優先権を与えてくれ
ている。危機が機会です。今こそ新しい哲学と、新しい思想と、
新しい外交政策を確立する稀有の機会だと思います。

(つづく)


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